2011年11月18日、東京フィル創立100周年記念定期シリーズ後半の幕が開く。
サントリーホールにおけるこの第807回定期演奏会の核をなすのは、東京フィルの初代常任指揮者にして、
1940年代、日本オペラ界に魂を吹き込んだ偉人マンフレート・グルリット。
グルリットの指揮に触れた音楽家は誰もがこう言う。
「グルさんはすごかった。グルさんのおかげで日本のオペラは大きく変わった」。
その“すごさ”とは何か。
少年時代は客席で、後に指揮者として、グルリットの間近で音楽を見つめてこられた外山雄三氏は、
そこにえも言われぬ「豊かさ」を見出したと語る。
マンフレート・グルリット(1890-1972)がナチスの迫害を逃れ来日したのは、東京フィルの前身「中央交響楽団」が名古屋から東京に本拠を移し、本格的なプロ・オーケストラとして活動を開始した翌年の1939(昭和14)年。マエストロ外山8歳の年だ。記憶に残るグルリットの演奏をお尋ねすると、氏は1950(昭和25)年のNHK交響楽団定期演奏会『パリアッチ』を挙げられた。外山氏19歳、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽部)在学中の公演である。
グルリットの指揮姿。
外山:演奏の出来・不出来ではなく、グルリットさんの『パリアッチ』はすばらしい「音楽」でした。カニオをバス・バリトンの中山悌一さんがお歌いになったのですが、初めてそのビロードのような、幅広い音域の美声を耳にしたとき、私は天地がひっくり返るような衝撃を受けたことをよく覚えています。もちろん、それまでにもすばらしいバリトンの先生は何人もおいででした。けれども、中山先生のお声は、それまでの歴史の中でとらえきれないほど鮮烈だったのです。その中山先生と東京フィルがなぜか、私の中で重なるのですよ。
藤原義江(右)と語らうグルリット。
グルリットさんはオペラを「知り尽くした」方でした。当時のNHK音楽部のディレクターからこんな“伝説”を聞いたことがあります。「次はどのアリアをやりますか」とディレクターが尋ねると、「このアリアを」とおっしゃって、ページも見ずに分厚いスコアを開ける。するとそこにそのアリアが出てくる、というのです。私はその場に居合わせたわけではありませんが、これは嘘ではないでしょう。指揮者としてはブレーメンのGMDやベルリン国立歌劇場正指揮者を歴任し、作曲家としてもヨーロッパの楽譜出版社のカタログに「ゴヤ交響曲」(1938)や歌劇『ヴォツェック』(1923)といった作品が収められているほどの方です。ナチスがドイツの政権をとらなければ、日本になど来るはずもない大音楽家だと言って過言ではないでしょう。それほどオペラというものをご存じの、日本にはそれまでいなかった、日本人が見たこともなかった音楽家だったのです。
しかし当時、そして今も、我々日本人はそのことをあまり知りません。もしあの頃、グルリットさんに「先生の『ゴヤ交響曲』は云々……」と語れる日本人がいたら、どんなに喜ばれたことだろうと思うと胸が痛みます。
オペラを振るグルリット。それまで日本にあったオペラといえば「浅草オペラ」と、後の「藤原歌劇団」へと続く藤原義江先生のご活躍のみ。また時代も戦争へと向かう頃で経済的にもオペラにとって順風は吹いていませんでした。そんな時代の日本においでになって、まだまだ世界水準には遠く及ばない日本のオーケストラを指揮するということに、さぞもどかしい思いをなさったことでしょう。さらには感情を直接表さない日本人の民族的性質にも戸惑われたことと推測します。そんな日本人気質にできるだけ合わせようとしてくださりながら、それでも音楽的にどうしても「違う!」となると、決して妥協なさいませんでした。あれは確か『ラ・ボエーム』だったと思いますが、東京フィルとのNHKの録音で地団太を踏んでワーッと怒声を発されていたのを覚えています。オーケストラが技術的に下手だから怒っていらっしゃるのではありません。もちろん当時の東京フィルは決して上手ではなかったけれど(笑)、下手だから怒っているのではなくて「どうしてわからないんだ!」「こんなに素敵な音楽なのに、あんなに練習してきたのに、君たちは何をやっているんだ」というもどかしさが募って怒声になっていることが、手に取るようにわかりました。
グルリットさんは「この世にはこんなにすばらしい音楽があるんだよ! それをやろうよ! やろうよ!」「君たち、そんなに熱心に一生懸命やっているのに、根本がわかっていないじゃないか。そこからやろうよ!」と、全身でおっしゃっていたのだと思います。だからグルリットさんの指揮なさるオペラを観に行くと、そのほとんどは東京フィルの演奏だったと思いますが、ピットの中からドスンドスンと足を踏み鳴らす音とワーッとわめく声が客席にも聴こえ、それによって私たちは「ああ、グルさんのオペラを観ているんだ」と、不思議な安心感に包まれたものです。
『カルメン』の出演者と。グルリットさんはそれまでの日本人が誰も知らなかった、ヨーロッパの伝統に根ざした“本物の”オペラの世界を、渾身の力をもって開き、「見せよう」としてくださったのです。そのことに当時の日本の音楽界がついていけたかどうか――残念ながらおそらく、グルリットさんが伝えようとなさったことの全部は受け取れていなかったことでしょう。しかし、オーケストラも全身でそれを受け取ろうとしていました。そしてその薫陶の中心にいたのは、間違いなく東京フィルだったと思います。