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2016年10月13日(木)
バッティストーニは指揮台の上の情熱的なイメージとは異なり、超がつくインテリ指揮者だ。スコアはもちろん、あらゆる文献を徹底的に読み込んで楽曲への理解を深めている点で、右に出る若手指揮者はおそらくいない。そんな彼が深く尊敬し、「この人がいなければ音楽の歴史はなかった」と言い切るのがベートーヴェンである。だが、伝統的な「テンポも響きも重い演奏」では「ベートーヴェンの魅力の大半は失われる」とも。昨年末の「第九」に続き、いよいよ「運命」を披露する前に、バッティストーニが聴かせたい“ありのままのベートーヴェン”について聞いた。
インタビュー・文=香原斗志(音楽ジャーナリスト)
――あなたから見てベートーヴェンはどんな作曲家ですか。
F.ヴァルトミューラーが描いた
ベートーヴェンの肖像画
ベートーヴェンは音楽の発展の「土台」を作った作曲家ですが、演奏するのはとても難しい。ひとつにはロマン派的な演奏の伝統があるからです。僕は文献学の力も借りてベートーヴェンの指示だけに従い、この作曲家が何を表現しようとしたのかを知ろうと努め、かつての演奏は本来のベートーヴェンからだいぶ離れていたと気づきました。実際のベートーヴェンは暴力的で、耳障りで、哀愁よりもむしろ切迫感が打ち出され、テンポはかなり速い。ベートーヴェンの語法を尊重して演奏すると、これまで繊細に演奏されてきた交響曲第6番「田園」の第1楽章にエネルギーがあふれ、交響曲第9番のアダージョは、壮大さが失われるかわりにモーツァルトのような透明感を帯びます。ベートーヴェンは刺激的な効果を極限まで追求した作曲家で、その音楽にはいつも衝撃があります。それを表現するのが、この偉大な作曲家への奉仕だと思っています。
――交響曲第5番はどのように解釈していますか。
第5番は「反乱」と「革命」の交響曲
©上野隆文
この交響曲は「運命」の交響曲として語られますが、本当は「反乱」の交響曲だと僕は信じています。指揮者のジョン・エリオット・ガーディナーがあるドキュメンタリーで「この交響曲にはフランス革命が入っている」と語っていましたが、そのとおりだと思う。力に対して反乱する感覚があって、実に革命的です。その典型がフィナーレで、当時は路上で演奏する楽隊が使ったトロンボーンやコントラファゴット、ピッコロが導入されている。つまり路上の音楽がコンサートに持ち込まれたのです。また、戦いじたいは第1楽章から始まっています。冒頭の「タ、タ、タ、ターン」は戦いのはじまりを告げ、すべての楽章で繰り返される。ですから反乱、革命の交響曲なのです。加えて言うなら、ベートーヴェンは個人であろうとした作曲家。したがって、ベートーヴェンはこの交響曲を通じて、巨大な暴力という個人のメッセージを伝えているのです。
――同時に演奏するイタリア・オペラの序曲もベートーヴェンと関係があるのですか。
ヴェルディの《ルイザ・ミラー》序曲はドイツ風です。《ナブッコ》序曲がイタリアのロマン派らしい序曲で、オペラに出てくる複数の主題を組み合わせ、内容を予告しているのに対し、オペラのなかでは二次的なテーマを唯一の主題として序曲を構成している。これは典型的なドイツの手法で、ヴェルディはベートーヴェンの交響曲から学んだに違いありません。一方、ベートーヴェンとロッシーニは知り合いでした。ベートーヴェンは当時、ウィーンで大流行していたロッシーニを毛嫌いしながらも、ロッシーニから大きなインスピレーションを受けていました。交響曲第9番のフィナーレは、特にソリストが歌うカデンツァなどロッシーニのベートーヴェン・ヴァージョンですし、交響曲第8番の第2楽章のフィナーレもロッシーニのパロディです。このように、イタリアの作曲家の間で強く意識され、自身もイタリアの作曲家を意識していた作曲家がベートーヴェンなのです。
インタビュー・文=香原斗志(音楽ジャーナリスト)
ベートーヴェン/交響曲第5番『運命』をここで聴く!
第105回東京オペラシティ定期シリーズ
2016年10月19日(水) 19:00 開演
東京オペラシティコンサートホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ヴェルディ/歌劇『ルイザ・ミラー』序曲
ヴェルディ/歌劇『マクベス』より舞曲
ロッシーニ/歌劇『ウィリアム・テル』序曲
ベートーヴェン/交響曲第5番『運命』
東京フィルハーモニー交響楽団 長岡特別演奏会
2016年10月21日(金) 19:00 開演
長岡リリックホール
2016年10月22日(土) 14:00 開演
長岡リリックホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ヴェルディ/歌劇『ルイザ・ミラー』序曲
ヴェルディ/歌劇『マクベス』より舞曲
ロッシーニ/歌劇『ウィリアム・テル』序曲
ベートーヴェン/交響曲第5番『運命』