ホーム > インフォメーション > ホルン首席奏者 高橋臣宜が語る、ベートーヴェン/交響曲第3番『英雄』の聴きどころ

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2017年8月1日(火)

 名誉音楽監督チョン・ミョンフンのもと東京フィルがたびたび取り上げているベートーヴェン。来る9月には、ベートーヴェンが新境地をひらいた時代の二作、ピアノ協奏曲第3番と交響曲第3番『英雄』の<3番プログラム>を、オーチャード定期演奏会(9月18日)、オペラシティ定期シリーズ(9月21日)でお届けします。ベートーヴェンの交響曲で非常に印象的な役割を担うホルンについて、ホルン首席奏者・高橋臣宜が語ります。


『英雄』のホルンに見られる、ベートーヴェンのまったく新しい試み


ホルン首席奏者 高橋臣宜

 ベートーヴェンは、ホルンをそれまでの“信号ラッパ”のような役割からメロディの楽器に昇格させた作曲家だと僕は思っています。特に『英雄』にはその要素が強い。ベートーヴェンはこの曲で珍しいことに3本のホルンを使ったわけですが、この作品あたりから、ホルンを“メロディ楽器”として扱いはじめたような気がします。それ以前の作曲家、たとえばモーツァルトもメロディ楽器としての扱いはあるのですけれど、どちらかというと名人芸的。ベートーヴェンは『英雄』で、ホルンの音色のなかでも、金管楽器的な輝かしい音色を、非常にメロディックに使ってくれた。そして、そのことによってオーケストラ全体に爆発力を与えた。非常に力に満ちて、オーケストラの中で高まったテンションを爆発させるきっかけとなるような使い方をしてくれます。その仕組みは本当によく考えてあって、3人のホルン奏者が音を重ねていくことで音楽全体のクライマックスを形づくるシーンは本当にやりがいがあります。
 たとえば1楽章。楽章の終盤にホルンのメロディが出てきますが、1番ホルンが最初に出て、2番ホルンが続き、3番ホルン、と順番に一人ずつ出てきて重なっていって、オーケストラ全体のクライマックスを、盛り上げていく。3楽章中盤の「トリオ」もそうです。


ここで実験!

『英雄』3楽章スケルツォの<トリオ>(中間部)に、ホルンのとても印象的な三重奏が登場するのですが、ここ、非常にベートーヴェンの工夫があって、それまでになかった響きと効果を生み出しているんです。<なぜベートーヴェンが、それまでになかった「3本のホルン」を使って交響曲を書いたか>がおわかりいただけると思います。

 『英雄』の有名なトリオ、ホルン3重奏はこういうところです。右から、1番(高橋)、2番(大東)、3番(山内)。

たとえば、2本のホルンで演奏すると、こういう響きに。
1番ホルンと2番ホルンの場合。

続いて、1番ホルンと3番ホルンの場合です。

ここでもう一度、楽譜どおりに3本で聴いてみましょう。

 3人で吹いたときに特別大きな音を出しているわけではありません。しかし、3本揃ったときの響きの豊かさ、掛け合いが生み出すメロディの魅力は「2本ホルン」よりもずっと大きいのがおわかりいただけるでしょうか?
 「こういう曲は自分ひとりではなくセクション全体で評価される曲なので、うまくいくと大きな自信になりますし、評価されれば嬉しさも3倍です」と高橋は語ります。

 『英雄』が作曲された時代のホルンという楽器は、「ナチュラル・ホルン」といって現代の楽器よりもシンプルな楽器を使っています。右手を楽器の中に入れて音程を調節するので、当時のナチュラル・ホルンで演奏すると、どうしてもくぐもった「ビー」というような閉鎖的な音色(閉塞音)になる音があるのですが、『英雄』は、さまざまな音程でハーモニーを作りながらメロディを奏でていくにもかかわらず、「閉塞音」になる音を極力使わず、非常にきれいな音色が響くように書いてあるのです。奏者としてもストレスなく和音を作り上げることができる。そして逆に、「閉塞音」になる音をあえて、目立つ音に使い、効果を出そうとしている面もあります。


“どちらもできる”ホルンのすごいところ

 僕のベートーヴェン体験は、学生のときに『運命』を演奏したのが最初です。それまではマーラーやリヒャルト・シュトラウスが好きで、そんな作品ばかり練習していたこともあって、そのときはまったく難しいと思わなかったのです。ところが、やればやるほど難しさがわかってくる。 『英雄』は、3番ホルンが木管とホルンセクションを繋ぐような役割を握っています。<木管楽器的なサウンド>と<金管楽器的な役割>の、“どちらもできる”ホルンの魅力を引き出している。
 多くのシンフォニーで、3番ホルンというのは「1番奏者のサポート的」というイメージで、若手の奏者が担当することも多いのですが、この『英雄』という作品に関しては、ベテランのスペシャリスト……作品のこと、オーケストラのこと、ベートーヴェンのこと、音量のバランスのことを、よーく知っている奏者が演奏するほうがうまくいくのかもしれないと思います。一般的に、3番ホルンが1番ホルンよりも目立つということは少ないのですが、この作品は、転調するときの“和音のかなめ”の音を、3番ホルンが演奏することが多い。「3番奏者は1番奏者よりも目立ってはいけない」という消極的なスタイルよりも「ここは3番奏者が出るべき場所」と判断して、積極的に表現していく方がうまくいきます。


ベートーヴェンは音楽の「間合い」が難しい。

 ベートーヴェンは間合いが難しい作曲家です。『運命』の冒頭などは最たるものですが、『英雄』の冒頭も、ただ、和音が2回鳴らされる、それだけなのに、その間の休符の時間、間合いは一筋縄ではいかなくて、指揮者によってまったく違う“間”が浮かび上がります。プレイヤーとしても緊張する瞬間です。マエストロ・チョンの場合は、非常に長い間合いを取る事が多いです。音楽を伸ばして、緊張感を高めていって最も高まった瞬間に一気に爆発させる。マエストロはそのような形でオーケストラを爆発させることが非常に上手です。爆発の逆もまた然りで、息もできなくなるような緊張感の方に間合いを詰めていくのも素晴らしい。奏者は恐怖の瞬間ですが…笑。「正解はただひとつ」という流れをマエストロ・チョンは作ってしまいます。


東京フィル名誉音楽監督 チョン・ミョンフン
 初めてマエストロ・チョンのもとで演奏したのは10年前、東京フィルに入団して最初の仕事、ドヴォルザークの7番の交響曲でした。マエストロは指揮台に立ったとき、すごいオーラがでている。すごく怖かった記憶があります(笑)。マエストロのリハーサルは、アンサンブルはすべて奏者にまかせるスタイルで、自分でアンサンブルの仕組みを理解していかないと音楽の全体の流れで指揮を振っていらっしゃるマエストロの音楽についていかれない。東京フィルの今の姿は、オペラの演奏というもともとある伝統に加えて、マエストロのような指揮者に鍛えられたおかげだと僕は思います」。



自身の転機とつながる、『英雄』体験

 個人的な話ですが、『英雄』は自分の転換期にかならずある曲なんですよ。
 最初の『英雄』は大学を卒業して間もなく、師の松崎裕先生、元N響の山本真さん、日本フィルの丸山勉さん、というメンバーの隣でアシスタントとして参加した時。日本一の先達の熟練の技を真横で聴いて、衝撃を受けた。「こんなふうにして吹くんだ!」と、もうびっくりして。これがすごく新鮮だった。どのパートを聞いても全部の音が大切な音、ムラがない。ムラのなさがベートーヴェンの響きの秘密だと知った瞬間でした。それを自分でやってみても、そう簡単には吹けなかったわけです。
 その後、2003年に、レコーディングも含めたツィクルスに参加する機会がありまして、そこでは古楽のニュアンスを表現することが求められました。それは技術的に難しい要求だったのですが、そこでベートーヴェンがナチュラル・ホルンで意図していた音色の理由が分かったのです。僕らの感覚からするとネガティブな印象を与える「閉鎖音」というものを逆手にとって効果的に使われるということがあるということを知りました。こういう曲は自分ひとりではなくセクション全体で評価される曲なので、うまくいくと大きな自信になりますし、評価されれば嬉しさも3倍です。


マエストロ・チョンのベートーヴェンは他では聴けません。


©上野隆文

 マエストロ・チョンといっしょに演奏するときは、引いてはだめ。「僕はこう考えています」と音で表明して、ディスカッションしなければだめです。そうじゃなければただの注文、リクエストになってしまいます。もちろん最初は怖かったから(笑)、言われたことを聞くということしかできなかった。自分で納得しているかどうか、よくわからないけれど、とりあえず言われたとおりにやってみようという状態が数年続きました。でも、ある時、「マエストロ・チョンと演奏するときには自分のやりたいことはきちんとやりたいようにやって表明していかないと、ディスカッションにならない。やりたいようにやって、それで何か別の注文があったら、そこで考えればいい」と、先輩の森(博文)さんから教わり、はっとしました。そのように受け継がれていくものがあるのだと思いますし、今後、後進の奏者には、今度は僕が伝えることをしなければならないんだと思っています。

 マエストロ・チョンのベートーヴェンは他では聴けないですよ。 マエストロはベートーヴェンが求めたであろう「英雄の響き」を、円熟の手法で作り上げるでしょう。ぜひ、楽しみにしていただきたいと思います。



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