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2018年10月30日(火)
イタリアの詩人、小説家、台本作家、音楽評論家、オペラ作曲家。今日ではヴェルディなどのオペラ台本作家として、また自身のオペラ『メフィストーフェレ』によって知られている。
アッリーゴ・ボーイト(1842-1918)
1868年、ゲーテの傑作戯曲『ファウスト』を原作に、ボーイトが自分で台本と作曲を手がけた歌劇『メフィストーフェレ』を発表、ミラノ・スカラ座で自身の指揮で初演された。
それまでにも『ファウスト』を題材にした音楽作品は数多く生まれていたが、そのどれとも全く違った視点から生み出されたこの作品は、イタリア芸術界に大きな反響をもたらした。ただし初演のバージョンはなんと5時間を超える大作。内容の行き過ぎた斬新さもあり好評を得たのはわずかに冒頭の「天上のプロローグ」のみで、初演は失敗に終わったと伝えられている。ボーイトは初演版を破棄し、数年後に改訂版を発表。現在上演されているのはこの改訂版である。
1842年、ボーイトはイタリア北部のパドヴァで細密画工の父とポーランド伯爵家出身の母の間に生まれた。1853年にミラノ音楽院に入学すると、持ち前の文才で詩作、文筆、評論等でも、若くしてイタリア芸術界の注目を集めていった。イタリアにワーグナーを紹介したのもボーイトであったといわれる。
19世紀中頃のイタリア芸術界には、すでに彼より29歳年上の巨匠ヴェルディが君臨していたが、ボーイトは既存の芸術に反発し、「芸術の力でイタリアに新しい風を吹かせる」ことを目指した“蓬髪主義(スカピリアトゥーラ)”の一派として活動する。若いボーイトのそうした言動は、”既存の芸術”を生み出していたヴェルディにとって苦々しいものであったようだ。
ボーイトとヴェルディ
しかし後年には、オペラの共作を通してヴェルディのわだかまりは友情へと変わってゆく。ヴェルディとボーイトはシェイクスピアの戯曲『オテロ』のオペラ化を通じてタッグを組み、大成功。続く『ファルスタッフ』でも、今日に残る傑作を生みだした。作曲家ヴェルディと台本作家ボーイトの共同作業で二人が交わした書簡からは互いへの信頼と尊敬が伝わってくる。ボーイトはヴェルディとの関わりを「芸術家としての生涯の頂点」であると見なしていたことが書簡から明らかになっている。1901年にミラノにてヴェルディが死去したときには、ボーイトが臨終に立ち会った。
関連リンク
・ 歌劇『メフィストーフェレ』特設ページ
・ アンドレア・バッティストーニ『メフィストーフェレ』を語る
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いにしえの悪魔が現代に蘇る――
バッティストーニの『メフィストーフェレ』
第912回サントリー定期シリーズ 【完売御礼】
2018年11月16日[金] 19:00開演(18:30開場)
サントリーホール
第913回オーチャード定期演奏会
2018年11月18日[日] 15:00開演(14:30開場)
Bunkamura オーチャードホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
メフィストーフェレ (バス): マルコ・スポッティ
ファウスト (テノール): アントネッロ・パロンビ
マルゲリータ/エレーナ (ソプラノ): マリア・テレ-ザ・レーヴァ
マルタ/パンターリス(メゾ・ソプラノ):清水華澄
ヴァグネル/ネレーオ(テノール):与儀 巧
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団 他
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
オペラ演奏会形式 ボーイト/歌劇『メフィストーフェレ』
主催:公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
公益財団法人アフィニス文化財団
公益財団法人 花王芸術・科学財団(11/16)
公益財団法人ローム ミュージック ファンデーション(11/16)
協力:Bunkamura(11/18)