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2018年11月12日(月)
劇作家・鴻上尚史
『メフィスト-フェレ』は19世紀イタリアの作曲家・台本作家・詩人アッリーゴ・ボーイトが台本・作曲を手がけて完成させたオペラだ。ボーイト没後100年の今年、日本では珍しい全曲上演が実現した。
巨匠ヴェルディとタッグを組み『オテロ』『ファルスタッフ』の台本を手がけ、傑作を生み出させた立役者ボーイトの名を、日本でオペラを観る私達はどれだけ知っていただろう?「朝ドラ」や「大河」の脚本家は毎年大きな話題になるにもかかわらず。
今回、ボーイトが併せ持った「台本作家」「作曲家」の両側面に焦点をあて、劇作家・鴻上尚史氏に「台本について」、作曲家・三枝成彰氏に「作曲について」それぞれ話を伺った。
ここで浮かび上がった「音」と「ことば」の問題に、私たちはこれからどのように向き合えばよいのか。「日本語は西洋の音階やメロディに噛み合わせることが困難」といわれる。けれど、明治期には「唱歌」という形で西洋の音階と日本語を融合させた音楽は生まれ、世代を超えて愛されてきた。同じ時代、永井荷風や三島由紀夫はじめ、日本の文豪たちがオペラに傾倒し、オペラへの夢を語っている。日本のクラシック作曲家が世界に目を向け「前衛」に挑んでいた時代にも、「うた」は、「ドラマ」は、生まれていたのである。
作曲家・三枝成彰が語る「オペラ台本は複雑であってはなりません」
――『メフィストーフェレ』はオペラの作曲と台本を同一人物が手がけた珍しい作品です。オペラは音楽ですから、作曲家はもちろん重要ですが、日本では台本作家の重要性があまり顧みられてこなかったという印象があります。 歌“劇”というからには台本の存在は不可欠なのですが……、お尋ねしたいのは、台本とは、そもそも、どんなふうに生まれるのかということです。
「雲をつかむような話ですね。(笑)結局どの物語を面白いと思うかということだと思います。物語というのは、登場人物がいるとして、その人の目的と障害がどのようにぶつかるか、それが一番の核です。登場人物がどういった目的を持っているかが一番大事なこと。目的が簡単に実現してしまうと面白みがないので、それが何によって邪魔されているかを作る。“目的と障害”という対立構造が明確じゃないとあまり面白くない。ですから、最初に主人公を想定した時に、この主人公がどんな目的を持っているのか、その目的にとって一体何が邪魔なのかをすごく考えます。愛する人の存在が障害になる、なんてことも普通にあるわけです。たとえば仕事に期待のある女性が大恋愛に落ちているときに海外転勤が決まった。彼のことが大好きだけど、アメリカでバリバリ仕事もしたい。彼は残って欲しいと言う。愛する人がいなければ障害にならなかったのに、というふうな。
“目的と障害”が明確になったら、それをどう行動で表すかが実は面白いかどうかを決めるところです。内面で葛藤して、ただただ無言で苦しんでいるだけだとあまり面白くなくて、目的と障害が葛藤する中にしかドラマがない。それをどう行動という形で表せるかが、物語・お話としての一番の肝になる。さらに言うと“超目的”という、その人物が終始一貫持っている目的があった方が面白い。今の女性の例で言うと『納得できる人生を送りたい』というのが超目的。『海外でバリバリ働く』ことも『愛する人と添い遂げる』ことも、どちらも納得できる人生だけど、『さあ、どっちを選ぶんだい?』と。“超目的”が設定されていなかったり、ぶれてしまったりすると観ている方も混乱するし、あまり感情移入できないですね」
―――物語が言葉のやりとりを中心に進むわけですが、具体的な会話のリズムやテンポ、たとえば長いモノローグやテンポの良い会話を入れようといったことは、どのように決めるのでしょう? 演出にもかかわるところかと思いますが。
「中身ありきですね。後付けで『しばらく静かだから元気な場面を入れよう』とすると、あまりうまくいかない場合が多いです。演出といっても、やはり台本からしか導かれない。本を裏切って演出はできないのですよ。
僕はオペラは分からないですが、ミュージカルや音楽劇の経験から、歌にすると単位時間あたりの情報量が減ることだけははっきりしています。情報量を一番たくさん入れられるのはストレートプレイ(通常の演劇)。歌にするとイメージや情感は伝わるけれど、具体的な情報は減る。ミュージカルを作っていると『これは歌では伝えられないくらい複雑な情報量だ』ということがあります。歌は情感的なものだから、人はそこから情報量は受け取らない。そのかわり感情はすごく受け取る。そこに込み入った事情を加えようとしても、あまりうまくはいかないだろう、というようなことは思います」
―――オペラでもまず台本、言葉がある。そこに音を付ける作曲家がいて、さらに演出をする人で作っていくのですが、そのバランスがなかなかうまくゆかない、ということが起きることがあります。
「才能のある書き手だったら、何度かタッグを組むと学習していくのではない
でしょうか。僕もミュージカルと音楽劇で何本かやって随分学習したところがあります。森雪之丞さんという、作詞家であり音楽監修でもあるという人を、僕がミュージカルに引き込んで、これまで何度かご一緒していますが、何回か試行錯誤で成功・失敗を繰り返すと『ここは歌になるな、これは無茶だな』ということがわかる。
僕たちの場合は、僕が台本で『ここでこういう歌を入れたい、こういうことを詞にしてほしい』という内容を書く。それを作曲家と作詞家と3人でディスカッションして、こういう曲調がいいということを共通の理解にして作曲してもらって、あとから詩を乗せるという形。そうすると、詞の中に盛り込めない情報が出てきます。『こんな余計なことまで歌うのはまわりくどい』と。そういうキャッチボールができるようになると、余計に面白くなるんですよ。森さんと僕は3回目の仕事をして、お互いの仕事がわかっていて『こんな言い方しても失礼にならない』とか『こういうのは素直に言ったほうがいいだろう』みたいなことができる。そういうことはまず、作曲家と作詞家と台本作家の3人の幸福な関係を作らないと難しいと思います」
―――そのように、一緒に作っていくということですね。
「一緒に作らないとわからないですよね。森さんはアニメソングから、歌謡曲やロック、ポップスと、全ジャンルやっている人で、たぶん生涯で作詞したのが数千、1万くらいあるかもしれない作詞家の大プロですが、『アーティストに日本語になっていない歌を歌わせるのは変だ、音符にちゃんと乗っていないものを歌わせるのはしのびない』と毎回言います。当たり前のことだけど、日本語としてちゃんと音符に乗っている言葉を探すのがすごく大事だと。そういう人と一緒にできるのは珍しい、出会えてラッキーだったという感じがします」
―――ミュージカルもオペラも、それこそ童謡も、音と言葉がきちんと乗っているものこそ感動を呼びヒットする、ということはありますね。貴重なお話をありがとうございました。
(ききて:東京フィル)
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
作家・演出家。早稲田大学法学部出身。
1981年に劇団「第三舞台」を結成し、以降、作・演出を手がける。現在はプロデュースユニット「KOKAMI@network」 と「虚構の劇団」を中心に活動。これまで紀伊國屋演劇賞、岸田國士戯曲賞、読売文学賞など受賞。演劇の他には、エッセイスト、小説家、テレビ番組司会、ラジオ・パーソナリティ、映画監督など幅広く活動。近著に「不死身の特攻兵〜軍神はなぜ上官に反抗したか〜」(講談社現代新書)など。桐朋学園芸術短期大学特別招聘教授。
関連リンク
・ 歌劇『メフィストーフェレ』特設ページ
・ 歌劇『メフィストーフェレ』曲目解説
・ アンドレア・バッティストーニ『メフィストーフェレ』を語る(連載記事)
【11月定期演奏会】
いにしえの悪魔が現代に蘇る――
バッティストーニの『メフィストーフェレ』
第912回サントリー定期シリーズ 【完売御礼】
2018年11月16日[金] 19:00開演(18:30開場)
サントリーホール
第913回オーチャード定期演奏会 残席わずか
2018年11月18日[日] 15:00開演(14:30開場)
Bunkamura オーチャードホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
メフィストーフェレ (バス): マルコ・スポッティ
ファウスト (テノール): アントネッロ・パロンビ
マルゲリータ/エレーナ (ソプラノ): マリア・テレ-ザ・レーヴァ
マルタ/パンターリス(メゾ・ソプラノ):清水華澄
ヴァグネル/ネレーオ(テノール):与儀 巧
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団 他
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
オペラ演奏会形式 ボーイト/歌劇『メフィストーフェレ』
主催:公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
公益財団法人アフィニス文化財団
公益財団法人 花王芸術・科学財団(11/16)
公益財団法人ローム ミュージック ファンデーション(11/16)
協力:Bunkamura(11/18)