ホーム > インフォメーション > 2019年2月定期演奏会 聴きどころ いよいよ機が熟してマーラーの交響曲第9番に挑む名誉音楽監督チョン・ミョンフンと東京フィルへの期待

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2018年12月11日(火)




グスタフ・マーラー(1860-1911)

 マーラーが完成させた最後の交響曲である第9番。標題はないが、第4楽章の最後の小節に「死に向かうように」と書かれていることからも察せられるように、晩年は病身であったマーラーが死や決別を意識しながら書いたといわれる。

 実際、マーラーは「第9番」という響きを嫌った。ベートーヴェンにせよブルックナーにせよ、交響曲第9番を最後に世を去った、という偶然を恐れるあまり、9番目に書き上げた交響曲をあえて「大地の歌」と名づけたほどだ。しかし、10番目に書いた交響曲は純粋な器楽曲だから、もはや「歌」と呼ぶわけにもいかず、交響曲第9番とせざるをえなかった。交響曲第10番を完成させることができなかったマーラーにとって、恐れは現実になったのである。

 しかし、それだけに、この第9番はマーラーの交響曲の集大成として、彼の人生が凝縮されているようだ。生と死の間で揺れ動く精神の緊張を反映するように、マーラーならではの陶酔感に一種の厳しさが加わり、はかり知れないほど深く彫琢され、ひと言で言うなら崇高である。

 だから、これまで数多の指揮者がこの交響曲を特別の機会に取り上げてきた。東京フィルの名誉音楽監督、チョン・ミョンフンがいよいよこれを指揮するのも、機が熟したという思いがあってのことに違いない。

表現はすべて内奥に――マエストロ・チョンが到達した境地


©上野隆文  

 機が熟していることは、マエストロ・チョンの最近の指揮姿からも感じられる。身振りは最小限だが、そこに一切の無駄がなく、わずかな動きのなかに意志を濃縮し、オーケストラに伝える。誇張された大仰な表現は不要であるばかりかむしろ邪魔で、譜面から得られたインスピレーションを実直に音にしていくことにのみ価値を見いだしている――。そんな姿勢が身振りにもあらわれている。

 それは、たとえば2017年の7月と9月に演奏された東京フィルとの、マーラーの交響曲第2番『復活』にも顕著だった。東京フィルとのコンビで『復活』を指揮するのは2001年以来だったが、かつてマエストロ・チョンがマーラーを指揮するときに感じられた熱気や勢いが、よい意味で失われていたのだ。大音量で押し切るような外形的な表現は影をひそめ、その代わりに、すべての表現が音楽の内奥に向かっていた。

 冒頭から自然で気負いがないが、低弦のうなりにも底知れぬ深みが感じられる。弦楽器は大きな弓遣いで音のレンジを大きく取りながらも、無駄に響かせたりせず、金管楽器も無用に咆哮したりしない。オーケストラはマエストロの小さな身振りに応え、自然な音を淡々と表現していく。一方、叙情的な表現になると一転してテンポを落とし、旋律を歌いこむ。そこにえも言われぬ滋味深い表現が立ち上がる。

 マエストロ・チョンはインタビューに答えて、「いろいろなことが深まるので歳をとるのを歓迎している」という旨を述べていた。指揮者は外形的な誇張に誘惑されやすいものだが、それを排除し、ストレートで自然な表現の奥に年輪を重ねてしか生まれえないような精神性の深化を追求したい――。そう願っての発言だろう。

 こうした姿勢はあたかも求道者のようで、その結果、心に深く浸潤し、無条件に涙腺を刺激するような演奏を、マエストロ・チョンは聴かせている。そんな境地に達している指揮者がいま、ほかに世界に何人いるだろうか。あるいは、過去に何人いただろうか。

この世への惜別に示されるだろう共感


2001年、「音を掘りおこす」という言葉とともに
マエストロが東京フィルに贈ったスコップ
©K.Miura

 むろん、演奏の深化には、マエストロ・チョンと東京フィルとの関係が深化した影響もある。2001年にスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーに就任して17年、時を経て両者の関係は深まるばかりで、マエストロはいま東京フィルを「日本の家族」と公言してはばからない。そうした諸々を考えれば、マーラーの交響曲第9番への期待を高めずにいることなど、できるはずがない。

 この交響曲は第1楽章から、特にヴァイオリンに死の気分が濃厚に感じられるが、マエストロ・チョンはそれにどう共感し、死の気分をどのように漂わせるだろうか。曲中には全体に過去の作品からの引用も多い。それはマーラーが逃れられないものを前にし、研ぎ澄まされた精神で過去を追想した結果だろう。自身も年齢を重ねてきて、追想すべきものを多く持ったマエストロは、いま譜面からどんなインスピレーションを受け、音にしていくだろうか。

 そして第4楽章ではあきらめの境地が静かに示され、アダージョで終わる。この諦観をマエストロ・チョンはどう表すのか。運命に導かれ、不可避の死に向かって推し進められる時の流れ。透明に描かれたこの死の世界を、マエストロと東京フィルは、きっとひたすら透明に描くのではないだろうか。それがこの世への惜別に向けて示された最大限の共感である、と聴き手に強く訴えながら。

 筆者は今年、大切な人を何人か失った。その人たちへの惜別に、この演奏会以上にふさわしい機会はないのではないかと思っている。だからおのずと期待も真剣になる。




香原 斗志(かはら・とし / 音楽評論家)

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について、音楽専門誌や公演プログラム、ライナーノーツなどに 原稿を執筆。歌唱の分析と評価に定評がある。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、共著に『イタリア文化事典』(丸善出版)。毎日新聞のクラシック音楽情報サイト 「クラシックナビ」に「イタリア・オペラの楽しみ」を連載中。2月にアルテスパブリッシングより『イタリア・オペラを疑え!』を出版。



第916回サントリー定期シリーズ

2019年2月15日[金] 19:00開演(18:30開場)
サントリーホール

第917回オーチャード定期演奏会

2019年2月17日[日] 15:00開演(14:30開場)
Bunkamura オーチャードホール

第123回東京オペラシティ定期シリーズ

2019年2月20日[水] 19:00開演(18:30開場)
東京オペラシティ コンサートホール

指揮:チョン・ミョンフン

マーラー/交響曲第9番



主催:公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
協力:Bunkamura(2/17)

公演カレンダー

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