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2014年6月24日(火)
ミハイル・プレトニョフとチョ・ソンジン共演の公演評を掲載しました
©Ramistudio.com
©Artyom Makeyev
2014年10月の東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会に出演するミハイル・プレトニョフとチョ・ソンジンが共演したバーゼル交響楽団の演奏会評が現地紙で掲載されています。
この演奏会では10月定期演奏会のプログラムでもある、ショパンのピアノ協奏曲第1番が演奏されています。
軽やかな響きのヴィルトゥオーゾ | Basler Zeitung
クラシック界の若き天才を聴く | Basell and schaftliche Zeitung
軽やかな響きのヴィルトゥオーゾ
Basler Zeitung 誌
(執筆:ジルヴァーン・モースミュラー)
バーゼル交響楽団コンサート
ソリスト、チョ・ソンジン
バーゼル発: コープ(生協主催)・シンフォニーコンサートは、翌日、市民シンフォニーコンサートと名を変えて再演され、安い手ごろな入場料で優れた音楽を提供してくれる。シューベルトの第5交響曲は、普遍的傑作としての地位を不動のものには出来なかったものの、様々な点で、同じ作曲家の遥かに有名な交響曲第7番《未完成》へとつながっていく。第5番の基調は確かに第7番より明るく快いが、やはりこの交響曲にも、戦慄を覚えさせるものが、かすかに影を落としている。緩徐楽章では、うっとりとするような、もはやこの世のものとは思えなくなるほどの美しい旋律が響く。速い終楽章は、突然、短調に移行することで、フーガの形式から逸脱する。
バーゼル交響楽団は、この「小さな」交響曲を、ホールに合わせて大編成で演奏したが、ミハイル・プレトニョフの指揮の下、その演奏は、嬉しいことに機敏かつ精確だった。時にはきびきびとした、時にはきらびやかな弦の響きに、みがき抜かれた管の音色が陰影をつけていた。着実なテンポと、豊穣かつ緊密なオーケストラの響きを好むプレトニョフは、すでにシューベルトの第5交響曲アダージョ楽章で、その特質を浮き彫りにしていた。続く《未完成》交響曲は、両楽章ともゆっくりとしたテンポによるものなので、細部を彫琢するための時間は充分にあった。
“遅すぎるといってもよいほどだ”
冒頭に置かれた嬰へ音からして、真の意味でのフェルマータになっていた。チェロやコントラバスのトレモロが、あの不気味な箇所で、これほどにはっきりと聴き取れることは、めったとない。だが時折、あまりに遅すぎる箇所も見られた。例えば、第2楽章。クラリネットのカンティレーナは、もはや息継ぎなしに一息では吹ききれないほどだった。
コンサートの前半は、弱冠19才のピアニスト、チョ・ソンジンがショパンのピアノ協奏曲第1番を見事に演奏し、センセーションを巻き起こした。演奏を楽しむチョの心は、瞬く間にオーケストラに伝播した。オーケストラの団員たちは、時折、あっけにとられてその指先に見入ってしまうほどだった。この若き韓国のピアニストは、卓越した技巧を有しているだけではない。驚くのは、何よりもまず、その演奏の軽やかさだ。大きくテンポを変えることなく、チョは、第1楽章と第2楽章で、ひとつの流れを生み出していた。音楽が無限の旋律へと流れ込む。
終楽章と、聴衆の熱い喝采に応えて取り上げたアンコール曲《英雄ポロネーズ》は、造形上のアイデアが豊富で、文字通りきらきらと輝いていた。しかし、もっぱら印象に残ったのは、歌うこと、つぶやくこと、ほのかに光ることの間にある繊細なニュアンスの違いである。それが、すでに若いチョのピアノ演奏を、まったく格別なものにしている。
クラシック界の若き天才を聴く
Basell and schaftliche Zeitung 誌
(執筆:ニコラウス・ツィビンスキー)
フレデリック・ショパンは、二つ目のピアノ協奏曲(現在第1番とされているもの)を作曲した当時、まだ20才にもなっていなかった。フランツ・シューベルトは19才で変ロ長調の交響曲第5番を作曲した。そして水曜日のコープ・シンフォニーコンサートでショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調を演奏した韓国のピアニスト、チョ・ソンジンもまた19才である。
“意図なくして成功を収めた”
指揮者ミハイル・プレトニョフは、華々しい若人の祭典を目指し、そのためにシューベルトの珠玉の一曲、交響曲第7番《未完成》を意識的に取り上げたのだろうか?たとえ劇的効果を狙って《未完成》とショパンのピアノ協奏曲第1番を対置したのではないにしても、実際には効果は満点だった。ソリストの超絶技巧による爆発的な演奏に《未完成》交響曲のほぼ捉えようのない夢想の世界が続くことになったからだ。
21才でモスクワのチャイコフスキー・コンクールに優勝したプレトニョフは、指揮者として、どのような自由な演奏の余地をソリストに与えなければならないかを熟知している。少なくともショパンにおいては(アンコールも、それを証明していた)、技巧的に、すべてを成し遂げる最高水準の演奏が可能な韓国の若きピアニストに、プレトニョフは、やりたいようにやらせている。チョは、確かに若々しく決然とした演奏をするが、同時にまた、第2楽章の「ロマンツェ:ラルゲット」に見られたように、センチメンタルになることなく歌うことも知っている。
チョが、この曲を、超絶技巧を誇るように演奏するからといって、誰がチョを非難するだろうか。チョのピアノ演奏は、聴衆の熱狂的な喝采に充分ふさわしいものだった。たとえ、オーケストラがチョの演奏に喜んで耳を傾け、チョの成功に大いに寄与していたにしてもである。チョ・ソンジンには、いずれモーツァルト演奏を聴かせてほしいものだ。
“シューベルトのタフな仕事”
休憩後は、19才のシューベルトの作品。シューベルトは、モーツァルトとベートーヴェンの狭間に位置し、「大交響曲への」困難な「道」を切り拓かなければならなかった。シューベルトは、およそ勤勉な作曲家だった(フロトホイス)。モーリッツ・フォン・シュヴィントは、こう語っている。「昼間彼のところへ行くと、彼は言う『こんにちは、元気かい?』。こちらが『元気だよ』と答えると、彼はまた作曲に戻る。それで、こちらは彼のもとを辞することになるのだ。」今日、私たちがシューベルトの作品に触れると、シューベルトが、亜流のまがいものを作ることなく「大交響曲」へと望み通り確実に近づいていくのを、驚きと称賛をもって聴き取ることが出来る。プレトニョフは、第5交響曲を細部にわたるまで充分に稽古していた。オーケストラもプレトニョフの要求に応え、力強い推進力と見事な繊細さとを併せ持つ演奏を聴かせてくれた。
さらに《未完成》交響曲には、ゆっくりと内部を循環する安らぎが、私たち現代人にとって想像を絶する幸福が、加わっていた。充足に辿り着くために、繰り返しスタートするという幸福。しかし、この道も困難な道、狭隘な道だ。というのは、「充足の規模に応じて危険の規模も大きい」(ペーター・ギュルケ)からだ。
“澄んだ美しさ”
両曲ともオーケストラの演奏は、感動するほど澄みきっていた。トゥッティのアコードは、まるでモーツァルトの〔《ドン・ジョヴァンニ》で〕騎士長が登場する時のようであり、そうかと思うと、弦が、チェロの素晴らしい歌と優れた管が歌う豊かなメロディーをともなって、一つの世界に結晶した天体の音楽のように響き渡る。この音楽、特に第1楽章を聴くと、シューベルトが自分の行くべき道を見出していることが感じられる。シューベルトの「大交響曲」は、亜流とならないためには、これ以外の在りようはないのだ。ロマン主義的断章であることに、この音楽の真価があるのだ。こうした正鵠を射た演奏を聴かせてくれたことをプレトニョフとオーケストラに感謝する。盛んな拍手が長く続いた。
いよいよ定期演奏会1回券の発売迫る!
2014年10月21日(火) 19:00 開演
サントリーホール 大ホール
2014年10月24日(金) 19:00 開演
東京オペラシティ コンサートホール
指揮 : ミハイル・プレトニョフ
ピアノ : チョ・ソンジン *
メゾ・ソプラノ : 小山 由美 **
テノール : 福井 敬 **
合唱 : 新国立劇場合唱団 **
ショパン〔プレトニョフ編〕/ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11 *
スクリャービン/交響曲第1番 ホ長調 作品26 **