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2015年8月18日(火)
指揮者アンドレア・バッティストーニ インタビュー | 近況と『第九』特別演奏会
東京フィルの首席客演指揮者、アンドレア・バッティストーニは、天才の呼び声が高いだけあって、この夏も超多忙な日々をすごしていた。若きマエストロの生まれ故郷、北イタリアのヴェローナでのオペラ公演を終えた翌朝、近況について、そして、いよいよ年末に指揮するベートーヴェンの第九交響曲への抱負についてインタビューした。
インタビュー・文=香原斗志(音楽ジャーナリスト)
古代ローマ時代の円形闘技場、アレーナ・ディ・ヴェローナにおける夏のオペラ・フェスティバルで、ヴェルディ《アイーダ》を指揮した翌日の7月13日、バッティストーニは私が宿泊するホテルをマイカーで訪れてくれた。イタリアでの移動にはマイカーを使うことが多いそうで、その日の晩は恋人とすごしにミラノまで自動車を走らせ、翌日はトリノに移動してプッチーニ《ラ・ボエーム》を指揮するとのこと。どんなに忙しくても、彼女が働くミラノを週に1回は訪れるように努めているのだという。 ホテルの近くのバールで、トスカーナ産の葉巻に火をつけ、生絞りオレンジジュースに少し氷を入れてくれるように頼んでから、マエストロの話は始まった。
香原 | 7月9日にトリノ王立劇場で聴いた《ラ・ボエーム》は、若者たちの青春の息吹が弾けるような音楽のなかに描かれて秀逸でした。また、昨日の《アイーダ》は、引き締まった構成のなかで明と暗の描き分けがすばらしく、華やかな場面との対比で悲劇がくっきりと浮かび上がりました。両公演とも聴衆の大喝采を浴びていましたね。ただ、それにしても、《アイーダ》と《ラ・ボエーム》という異なったオペラを交互に指揮するのは、大変ではないですか? |
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バッティストーニ | そうですね。かなり忙しいし、それに《アイーダ》と《ラ・ボエーム》という、次元がまったく異なるオペラを交互に演奏するのは、少し難しいですね。とは言え、《ラ・ボエーム》は2008年に僕が指揮者デビューしたオペラで、これまでに何度も振っているので、指揮することに苦労はなく、むしろ楽しいと感じます。このオペラの指揮は、いまでは僕にとってとても自然なことで、骨が折れることは全然ないです。
一方、アイーダを指揮するのは今回が初めてです。最初に指揮する場所が、まさかアレーナ・ディ・ヴェローナになるとは思わず、きっと屋根つきの歌劇場でデビューすると思っていました。ところが昨年、アレーナ側から「君のアイーダをここで聴かせてほしい」と頼まれたんです。「2015年はミラノ万博もあるし、アイーダはイタリアらしい指揮が好まれるから」と言われまして。それで、僕は「たしかにアレーナで指揮しておけば、ほかでやるときにやさしく感じる。そういう場所です」と返事をしました。実際、アレーナは広大ですが、ここのオーケストラはオペラを熟知しているので、想像するほどは指揮するのに困難がないんです。結局、ここで《アイーダ》にデビューできて満足ですし、《アイーダ》はいわばアレーナの象徴ですから、それを指揮できるのは名誉なことです。そんな演目の指揮を打診されるのは、劇場が僕を高く評価してくれているということですから。
ここのオーケストラは劇場の座付で、冬期は街中のフィラルモニコ劇場に移動して演奏します。しかし、夏季は明らかに楽員数が膨らんでいます。音楽院を卒業したての演奏家や、海外のアカデミーに参加している若い音楽家らが加わっているのですが、オーケストラも合唱も、元来の精神は不動です。
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香原 | あなたの地元の象徴ともいうべき《アイーダ》というオペラを、どのように評価していますか? |
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バッティストーニ | 実は、僕は《アイーダ》は、あまり好んで聴いてきませんでした。アレーナでは、《アイーダ》は凱旋の場などの壮麗さもあって、長く愛されていますが、《シモン・ボッカネグラ》の改訂版や《運命の力》、《仮面舞踏会》など、ヴェルディの後期の他作品にくらべて、後退しているように思えるんです。特に第3幕。かなり以前に書かれた作品のように、メロディを優先してドラマを構築しています。もちろん、《アイーダ》を指揮しながら、演奏する難しさにも、興味深い点があることにも気づきました。ただし物語は、劇的な迫力は与えられているものの、そこにあまり興味をそそられません。愛の物語と戦争の物語がからんだ《アイーダ》の主題は、ヴェルディ作品のなかで最もひどいもののひとつではないでしょうか。たしかに司祭たちの闘争などは興味深いけれど、ヴェルディ自身は、全体の序章に据えた愛の物語を一番興味深いと感じているようです。愛と権力との拮抗をヴェルディは強調したいようですが、《運命の力》や《仮面舞踏会》のような、心揺さぶられる主題があって謎めいた展開のなかで事件が起きる、という設定にくらべると物足りないんですね。たしかに、人生の2つの側面に遭遇できるおもしろさはありますが、やっぱり《アイーダ》の主題は弱い。凱旋の場をはじめ、一度聴いたら忘れない美しい音楽によって、主題の弱さを感じさせないのはヴェルディの天才だと思いますが、主題そのものは、あまりおもしろいと思えないんですね。
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香原 | この夏は、この2作品以外にも指揮をするんですか? |
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バッティストーニ | 7月24日にはフィレンツェで、プッチーニ《蝶々夫人》を1回だけ指揮します。同僚の指揮者が指揮できないことになって僕に要請があったのですが、実は、これが僕の《蝶々夫人》デビューなんですね。そして、8月25日にはアレーナ・ディ・ヴェローナでオルフの《カルミナ・ブラーナ》も指揮します(笑)。明らかにやりすぎですよね(笑)。
ただ、この夏はコンサートを指揮する予定はなく、そちらは9月に東京で再開します。この東京フィルハーモニーの、ヴェルディ、ラフマニノフ、ムソルグスキーという3人の作曲家の作品を組み合わせた演奏会は、とても楽しみにしています。実をいえば、この演奏会には僕が大好きな作曲家が5人からんでいて、ピアノ曲をオーケストラのために編曲したすばらしいヴァージョンを2つ演奏します。レスピーギが編曲したラフマニノフと、ラヴェルが編曲したムソルグスキー。これらの作品は管弦楽を指揮するうえで、それぞれに異なった新しい視点を与えてくれます。ピアニストがピアノのために書いたフレーズを、非ピアニストの音楽家が書き替えるとき、独特の色彩が現れるんです。レスピーギが編曲したラフマニノフの小品はあまり知られていませんが、僕はすごく美しいと思うし、ラヴェル編のムソルグスキーもそう。初めて聴く人は、きっと驚くと思います。
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香原 | さて、12月にはベートーヴェンの第九交響曲の演奏会が待っていますが、これまでに第九を演奏された経験はどのくらいあるのですか? |
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バッティストーニ | 第九はベートーヴェンの交響曲としては、これまでに僕が指揮したことのないただひとつのもので、東京での演奏がデビューになります。ベートーヴェンのほかの交響曲は何度も指揮していますし、第九も5、6回は依頼を受けたでしょうか。ところが、いつも実現しないんです。多くの劇場において、お金がなくて演奏会を開けなくなったり、ほかの指揮者が指揮することになったり。または、僕に指揮を依頼しておきながらギャラで折り合えなかったり。自分は第九交響曲を指揮すべきじゃないのではないかと思いはじめました。これは第九の呪いじゃないかと。きっとベートーヴェンは、僕が第九を指揮することを望んでいなんじゃないかとすら思いましたよ(笑)。そうしたら、東京フィルハーモニー交響楽団から依頼がありまして、「はい、いいですよ、演奏会が流れないように願いましょう」と(笑)。 |
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香原 | 第九交響曲という作品を、どのようにとらえていますか? |
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バッティストーニ | 第九は僕にとって、演奏するのにとても興味がある交響曲ですが、ただし、僕はこの曲は完全に常軌を逸していると思っています。僕はカラヤンが解釈したように、あるいは、過去のロマンティックなアプローチがそうであったようには、ベートーヴェンの音楽を解釈しません。そのような解釈、すなわちテンポや響きを重く保つ演奏では、ベートーヴェンを完全に再現することはできないと思うんです。むしろ、この作曲家の魅力は跳躍やスピード感、刺激的な響きにあると僕は確信しています。
ベートーヴェンをそのように演奏すると、時に醜くなります。それは第九において特にそうですね。なにしろ、第九の総譜は完全に常軌を逸していますから。交響曲のなかにとても劇的で、強い苦悩が表され、かつ重要なメッセージを含んだ合唱が置かれ、それがまったく均一ではない3つの楽章のあとに現れる。大変な冒険をしていますよね。したがって、この作品のゆがんだところを明らかにするのがおもしろいのです。これまで誰もそうしようとはせず、洗練され、安定した、伝統的な様式のなかに楽曲を飼い慣らしてきました。でも、僕に言わせれば、この作品特有の奇妙さを追い求めることこそがむしろ必要で、その奇妙さこそ、まったく新しく提示されるもので、初めて聴く人に強い印象を残すに違いないのです。
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香原 | イタリア人であり、オペラの国の指揮者であるあなたにとって、ベートーヴェンはどんな存在なのですか? |
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バッティストーニ | ベートーヴェンはこの世に生きた最も偉大な音楽家で、ベートーヴェンがいなければ何もなく、世界はいまのようではなかった、というほどの人です。ベートーヴェンはそれ以前の音楽、芸術一般とはまったく異なった道を切り開き、芸術を通して個人主義を追い求めた。そうした芸術の方向性はベートーヴェンが教えたものです。ですから、ベートーヴェンが私たちの芸術の起源であることを学ぶ必要があります。
とりわけ第九交響曲は、指揮者にとって土台になるものです。ベートーヴェンは実に根本的な作曲家で、彼が書いた交響曲はエネルギッシュで、カンタービレにあふれ、表現力に富んでいるから、イタリア人指揮者にとっても演奏するのがとても自然なのです。たとえば、トスカニーニもベートーヴェンを指揮しましたが、僕から見てとても興味深い。フルトヴェングラーのようなロマン主義や哲学性を強調する演奏が主流であった時代に、トスカニーニだけは、ベートーヴェンを指揮する際に官能性に重きを置いていました。それがイタリア人の僕にはとても興味深く、ベートーヴェンはこう演奏しうるという教えになっています。
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香原 | ベートーヴェンを演奏する難しさは、どのあたりにあるのでしょうか? |
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バッティストーニ | ベートーヴェンを学ぶのは困難ではありませんが、演奏するには非常な緊張を強いられます。ベートーヴェンの音楽は演奏するのがとても難しく、優れた指揮をするのはさらに難しい。と言うのは、ベートーヴェン自身が曲を書いては消し、また書き直し、それを何度も繰り返してやっとのことで書き上げたのと同じ努力が、指揮者にも求められるからです。彼の総譜を前にして、僕たちも同じことをしなければならないのです。総譜を学ぶ際、僕らはそのなかに入っていこうとしますが、ベートーヴェンの総譜の場合、まさに神に導かれるようにして過激な場所にたどり着く。音楽が過激だからです。それは僕に言わせれば、カラヤンのCDなどで聴ける完璧な音楽とは異なる、これまで演奏されたことがない姿です。実はベートーヴェンには、作曲家として大きな欠陥があるのですが、この欠陥こそが、ベートーヴェンを天才たらしめているのです。
オーケストレーションは、時にモダン楽器にとって奇妙だし、アーティキュレーションも時に巨大になる。また思いがけないアクセントは、ハーモニーというよりは、僕的には不調和ですが、奇跡的なことに、そんな不調和をも一緒にスケッチするなかで、彼の代表作が生まれたのです。この不調和の要素は隠されるべきではなく、むしろ強調される必要があります。隠してしまえば、ベートーヴェンの半分は失われてしまう。一方、強調すれば、ベートーヴェンはいまの時代になお生命を得て、今日においてさえ、きわめてモダンな作曲家になるのです。第九交響曲のフィナーレの滑り出しなど、何年も昔に書かれたのにすごくモダンです。だから、思いがけないアクセントを隠してはいけないのです。
僕は、ベートーヴェンの他律性(理性よりも感性に従う、という意味)に従うことが、この作曲家に近づく道で、それが正しい効果的な方法であると確信しています。また、僕たちが慣れてきたロマン主義的な伝統的演奏にくらべて、テンポも速くあるべきです。現在、オーケストラが演奏する楽曲の大半は、前進的に表現するという考え方が主流になっています。それは寛いだもの、快適なものを求めるよりも、常に前向きで未来的であろうとする姿勢で、そのことこそ重要なのです。こうしたテンポに従うと、第九は第3楽章までもテンポが遅すぎてはいけない。とにかく滑らかに進まなければなりません。そうすれば演奏は重たくならず、むしろ軽くなります。結局は、あまりドイツ的ではなくなるんですね(笑)。
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香原 | ところで、日本では12月に、どのオーケストラもこぞって第九を演奏する習慣があるのをご存じですか? |
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バッティストーニ | そのようですね。その手の習慣はほかの都市にもあって、「フェスタ(お祭り)」と呼ばれたりしますが、日本における第九交響曲は、まさに大いなる「フェスタ」ですね。シラーが書いた歌詞のメッセージはとても深く、美しく、この音楽のなかに調和しているから、「フェスタ」に相応しいかもしれません。それから、東京で第九同士の“戦い”が繰り広げられ、僕もそれに参加し、異なったアプローチの演奏をそれぞれ聴いてみるというのは、第九をめぐる一種の国際シンポジウムに参加するみたいで、奇妙でもあり、興味深くもありますね。
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香原 | あなたがその「フェスタ」に率いて参加する東京フィルハーモニーは、どんなオーケストラでしょうか? |
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バッティストーニ | どんなオーケストラにも演奏における個性がありますが、東京フィルハーモニーは、土台となる演奏技術が高く、かつ非常に芸術的で、とりわけ最初のリハーサルにおいて準備が万端である点は、世界中の数多くのオーケストラにもなかなか見いだせない水準です。ですから、このオーケストラで第九の“戦い”に参加できるのは、うれしくて、刺激的で、好奇心が湧きます。
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香原斗志(かはら・とし/音楽ジャーナリスト)
イタリア・オペラをはじめとする声楽作品を中心に取材および評論活動をし、音楽専門誌や公演プログラムなどに記事を執筆。声や歌唱表現の評価に定評がある。日本ミュージックペンクラブ会員。
著書に『イタリアを旅する会話』。
アンドレア・バッティストーニ登壇公演
新時代の幕開けを告げる、二人の天才。
9月10日[木]19:00開演(18:30開場)
サントリーホール
指揮: アンドレア・バッティストーニ
ヴェルディ/歌劇『運命の力』序曲
ラフマニノフ(レスピーギ編)/5つの絵画的練習曲
ムソルグスキー(ラヴェル編)/展覧会の絵
9月11日[金]19:00開演(18:30開場)
東京オペラシティコンサートホール
指揮: アンドレア・バッティストーニ
ピアノ:反田 恭平*
ヴェルディ/歌劇『運命の力』序曲
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲 *
ムソルグスキー(ラヴェル編)/展覧会の絵
ベートーヴェン『第九』特別演奏会
12月18日 [金] 19:00 開演(18:30 開場)
東京オペラシティ コンサートホール
12月19日[土] 14:00 開演(13:30 開場)
サントリーホール 大ホール
12月20日[日] 15:00 開演(14:30 開場)
Bunkamura オーチャードホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ベートーヴェン/序曲『レオノーレ』第3番
ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調『合唱付』 作品125