ホーム > インフォメーション > 【特別記事】コンサートマスター 近藤 薫が語る 9月定期演奏会の聴きどころ

インフォメーション

2025年9月9日(火)

9月定期演奏会

――今回のプログラムについて。


アンドレア・バッティストーニ Ⓒ上野隆文

 「イタリアの自然とアルプス。全体が“山”のイメージですね。マエストロ自身もイタリア北部ヴェローナ、山あいの方のご出身ですね。以前、子供の頃よく家族と山に行って、そこから見える山小屋がマーラーの作曲小屋で…という話をしてくれていました。マエストロの人生の中で山に対しては何かあるのではないでしょうか」 。



――以前マーラー「第7番」を取り上げた時もカウベルには非常にこだわりがおありのようでした。


2024年11月定期演奏会で使用したカウベル Ⓒ上野隆文

 「確かにそこからのつながりも、明確に何かイメージがあるのだろうなという感じがしますね。生き物、自然、そういうものがマエストロ バッティストーニの音楽の特徴な気がします。いつでもダイナミックだし、彼のタクトもとても自然に見える。なんと言えばいいか、野性的な。
 以前、マエストロの印象として『理性と野性のバランスがすごくいい』というような話を申し上げたことがあります。直感的で動物的、でも同時に非常に知的に、自然の複雑系といったものを理解しようとしていると感じます。クラシック音楽は知的な芸術なので、それを音楽で体現することができるのは稀有なことだと思います。それが非常に高次元で融合している。だから、マエストロのこういうダイナミックなプログラムは楽しみですね」。



――イタリアのピツェッティも初めて触れる作品です。レスピーギとほぼ同世代で、やはりイタリアの音楽界の頂点にいる方だったようです。日本の紀元2600年奉祝演奏会で、当時の同盟国を代表する作曲家としてR.シュトラウスとピツェッティ2名とも作品を寄せています。


作曲家イルデブラント・ピツェッティ(1880-1968)
作曲家イルデブラント・ピツェッティ(1880-1968)
(撮影者不明、1968年以前)

 「(祖父が当時の東京フィルコンサートマスターでしたので)私の実家にいくつかその時の演奏のスコアがあるかもしれません。ちょうど電話で新しいスコアが見つかったという話をしたところでした。つまり、それぞれ日本に縁があった人たちですね。
 リヒャルト・シュトラウスは非常に理知的な音楽ですよね。スコアがとても整理されていて。ところが先ほどの『理性と野性』の話でいくと、例えばウィーンなどR.シュトラウスと関係の深いような地域の音楽家と話すと、うまい表現が見つからないのですが『いい意味で脱力している』というか…自然体である、その瞬間の感情、直感に正直である、そういう状態が必要なのかもしれないと思います。実際、そういう考えでもって演奏しているレコーディングなどを聴くと、音楽にR.シュトラウス独特の深み、温かみ、彼の理想、夢、そういうものが聴こえてくるような気がします。スコアが非常にきっちりしているので、知性的・理性的であることだけ突き詰めると、冷たい演奏になってしまうかもしれないと思いますね。それでもマーラー的な感情とは全然違う、考え込んだり思い詰めて演奏するものではありません。『死と変容』のように楽曲そのもののテーマは重いものがあるにもかかわらずです。『アルプス交響曲』も、山の登り下りが人生かもしれない、ということを言う人もいますね。R.シュトラウスは人物としては一緒にお酒を飲みに行ったりすると楽しい人だったのではないかと思います。知的な話もできるし、ウィットに富んだジョークも言いそうですし」。



――演奏する上での難しさは?


 「先ほど『曲の中であまり考え込まない』という話にもなりましたが、シュトラウスという人は非常に達観していた人なのではないかなと感じます。『アルプス』はそれぞれの場面がはっきり描かれていて、色々なところに演奏者や聴衆は共感していくと思うのですが、全部をトータルで考えて『自然とは、人類とはこういうものだ』というシュトラウスなりの哲学を感じます。それは一つ一つの素材に対して没入するということではない。哲学的なことについても、どこか一箇所ではなく全部が関係性で成り立っている。ですから、自分の興味のあるところだけに惹かれていってしまうと、全体の関係性がおそらく薄れてしまって、最終的に『よくわからない』となってしまうかもしれない。そのくせ一つ一つは美しい瞬間を描いてくるから、どうしても『ここ、いいな』って思ってしまう、惹かれてしまう。直感的でありながら雄大に眺めてないといけないのだろうなと。『アルプス』は曲全体が一つの物語なので、『ここがいいね』がいっぱいあるのですが、それが全体の中の一部だからこそより深い意味が出てくる、演奏していてもやっぱりそのバランス感覚が肝という気がします」。



――このお話と逆の質問をしてしまいますが「一番好きな箇所」はありますか?


R.シュトラウスの肖像画
(マックス・リーバーマン画)


 「正直なところ、部分として取り上げられるところはないかもしれません。〈頂上〉も苦労して登ったわりに結構あっさりしているなと思いますし。頂上で『ジャーン』となって、それでさっと降りてくる。そこまで登っていく過程の方がよっぽど工夫がある。もちろん感動するシーンの一つだけれども『あ、もう降りてくるんだ』と…。その後に〈嵐〉がありますね。クラシック史上最も激しい嵐と言っても過言ではない。
 クラシック音楽の場合は嵐というのは象徴的に使われるシーンで、嵐の後に何があるかということが結構重要だと思うのです。ベートーヴェンの『田園』だったらその後(最終楽章)に祈りが来るわけですが、シュトラウスの場合は〈嵐〉のあの壮絶さに対して“さらに深い感謝”というところには行かない。ベートーヴェンの祈りのように何度も繰り返して深く祈るという姿勢とは違う。〈嵐〉が壮絶すぎて、その後のバランスが悪いと思う。その『恐怖と感謝』の関係性だけ取り上げると、終盤は結構あっさり終わっています。この『山を登って降りる』という体験に何があったんだろう、というのは、そこが彼の達観しているところというか、『人生はそんなもの、今は嵐が大変だろうけど、降りてみたら家に帰って眠りにつく』となるのが、ベートーヴェンとは全然違う。ベートーベンの場合は〈嵐〉はそんなに長くないけれどもその後の感謝の時間が長いですよね。シュトラウスにも祈りや感謝はもちろんあるのですが、時間も短いというか。「命がけで登ってきた」みたいな感じもあまりない。だからといって感謝がないわけでもないし、自然に対する恐れや尊敬がないわけでもないし、愛がないわけでもない。シュトラウスの独特さだと思います」。



――対するピツェッティは。


2017-18シーズン開幕定期では
イタリアの作曲家リッカルド・ザンドナーイ(1883-1944)
『ジュリエッタとロメオ』を取り上げた Ⓒ上野隆文
【特別記事】アンドレア・バッティストーニ、ザンドナーイを語る

 「他の作品も含めて演奏したことがないし、生で聴いたことがないですね。マエストロ バッティストーニが持ってくる、特にイタリア人のあまり知られていない作品は大体面白いです。マエストロが本当に心から共感していることがよくわかるから、一緒にやっていて純粋に楽しいなと思うし、いろいろな意味でのフレンドシップを作ってくれます。オーケストラとマエストロだったり、日本とイタリアだったり。マエストロが東京フィルに来始めた頃、クラシック音楽のオリジナリティにおいて一番重要な仕事をしたのはやっぱりイタリアだと思う、という話をしていて。一方で日本は、アジアの国でクラシックをちゃんと扱おうとした最初の国だと。東京フィルはイタリア人との仕事がとても多いのだけど、それはすごく自然なことだと」。



――ピツェッティ「夏の協奏曲」を日本初演したのは東京フィルだそうです。歴史の継承を感じさせるプログラムでもあります。


 「200年、300年後に、今あるようなスタイルのクラシックの"コンサート"が残っている可能性はそんなに高くないと思います。クラシック、つまり西洋芸術音楽がかなり高度な芸術だということは間違いなくて、多分ここまで感性と知性をバランスよく駆使し、かつかなり深いレベルで人同士がつながれるような芸術はあまり見当たらない。だから21世紀にこのようなクラシック音楽をどう扱うかというのは結構重要です。今の時代クラシックについては、私は本当に全ての人が、演奏家も、作曲家も、そしてお客さまも、三者が当事者なはず。そう思って挑んでいきたい。演奏会はもちろん楽しみに来ていただきたいし、チケット代をお支払いいただいて聴いていただくという経済活動はそれとしてきちんと考えなくてはいけないのですが、それ以上に、これからすごい認知機能を持ったAIだけでものを考えて社会を作っていこうとなったとき、意思決定は人間の手元には残らない。だけど本当の社会の姿というのはAIの認知能力だけで解決できないことの方がずっと多いわけで、でもそこは目に見えない範囲だからみんな困っている。
 だから見える範囲にその問題を抽出してきて、見えた部分で何か解決方法を探っていわば“誤魔化し誤魔化し“生きていきましょう、となるわけですが、それでもなるべく深いところから問題を抽出しなければなりません。深いところというのは、人類が共通して持ちえるところと言い換えられます。そして私は、人間の問題を、深いところから抽出するのは芸術の仕事だと思うのです。色々なことの意思決定の中で感性の世界から問題を抽出しようとする行為=芸術行為みたいなことを、私たちが自分たちのこととして考えなくてはいけない。平和な日本ではコンサートを聴こうと思ったらお金を出して聴けるし、聴くということは芸術活動に参加するということ。芸術を社会でどう取り扱うかは特にここ10年ぐらいに持ち上がってきた課題だろうと思いますが、発信する方がそう思っていないと、やっぱりお客さまも共感してくれないと思います。
 お客さまは『行くからには何かを手に入れて帰りたい』と考えられていると私は思っている。東京フィルの定期演奏会はそういうお客さまが多いと感じます。だから私は東京フィルのお客さまがすごく好きです。応援してくれている、一緒に作ろうとしてくれている気がする。そうするとコンサートがとても生きたものになる。マエストロバッティストーニも以前そう言っていました。お客様からの気配を背中で感じると」



――ありがとうございました。



初日リハーサルより
初日リハーサルより


9月定期演奏会

9月定期
チケットを購入
9月11日[木]19:00開演
サントリーホール
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9月12日[金]19:00開演
東京オペラシティ コンサートホール
チケットを購入
9月14日[日]15:00開演
Bunkamura オーチャードホール

指揮:アンドレア・バッティストーニ
(東京フィル 首席指揮者)


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ピツェッティ/夏の協奏曲
R. シュトラウス/『アルプス交響曲』


【聴きどころ】首席指揮者アンドレア・バッティストーニが待望のリヒャルト・シュトラウス『アルプス交響曲』を取り上げる。大編成になるほどその実力を発揮するバッティストーニ。オーケストラを存分に鳴らし、オペラ指揮者として磨かれた表現力で作り上げる標題音楽に期待したい。マエストロがレスピーギ、カゼッラに続いて紹介するのは、イタリアのいわゆる「80年世代」のピツェッティ。かつてカラヤンもその才能に注目していた作曲家。「夏の協奏曲」(1928)は、東京フィルが日本初演した、所縁のある作品。管弦楽のための3楽章の協奏曲だが、ピツェッティの田園交響曲と言われることも。自然をキーワードにした2作品のカップリングはバッティストーニならではのこだわりだ。
文:柴辻純子(音楽評論家)

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