ホーム > インフォメーション > 特別寄稿 アンドレア・バッティストーニ イリス:象徴主義か折衷主義か?

インフォメーション

2016年10月12日(水)


東京フィル首席指揮者 アンドレア・バッティストーニ

 今日、ピエトロ・マスカーニが大多数の聴衆にとって、ただ一つの代表作によって記憶されている作曲家たちの一人であるということは否定できない。その作品、すなわち『カヴァレリア・ルスティカーナ』(1890 年作)は彼の国際的なキャリアを華々しくスタートさせたが、その大成功は事実上、その後何年にも渡って、彼の芸術的成長に影を投げかけることとなった。


 マスカーニは生前から名を知られた著名な作曲家であったが、音楽評論の世界におけるある種の知的スノビズムは、彼の遺産に好意的な目を向けたことは一度もなく、彼の後期の、より成熟した時期の作 品群が、非情にもオペラの舞台から消えてしまうのを後押しした。一方、ヴェリズモ・オペラの時代を切り開いた彼のシチリアオペラ(訳注:『カヴァレリア』)は常に、世界中で最も多く上演されるオペラの一つであ り続けたが、しかし同時に音楽愛好家たちに、この偉大なイタリアの音楽家の不完全なイメージを与え続けてきた。
 いわば辺獄(訳注:キリスト教で、洗礼を受けずに死んだ幼児またはキリスト降誕以前に死んだ善人の霊魂などが住む地)に押し込められた彼の作品群の中で、『イリス(あやめ)』(1898年作)は間違いなく、最もそこから救い出されるべき価値のある作品である。その実像に近付き、その独創性に魅了されるべき理由は、数限りなくある。



ピエトロ・マスカーニ

 マスカーニの作品の特徴的な一面は、常に直観的なそれであった。彼には常に、国際的な流行や様式の潮流がイタリアに届き、国内でポピュラーな現象となるずっと前に、それらのエッセンスを素早くかすめ取る才能があった。『カヴァレリア』は確かに、ヴェリズモ・オペラというこの上なく豊かな鉱脈に生命を与えた。中産階級や牧歌的な世界を主題とする芸術の潮流が、他のどんな分野でもイタリアではまだポピュラーになっていな かった時、すでに『友人フリッツ』(1891年作)はビーダーマイヤー様式のオペラの先駆者となった。『パリジーナ』(1913年作)は、ダンヌンツィオの唯美主義を的確な劇的迫力をもって解釈してみせており、『イザボー』(1911年作)は中世の伝説の再現である。


 『イリス』は当然、19世紀の70年代にヨーロッパを席巻したオリエンタリズム(東洋趣味)とジャポニズムの影響を受けている。この潮流はパリを、万国博覧会を、影響力のある数々のサロンを席巻し、全ヨーロッパに、明らかに特異な日本のイメージを植え付けたのだった。



パリ万博に出展された日本茶屋の様子

 浮世絵の感性豊かな描線、異国情緒あふれる主題、ヨーロッパには馴染みのない風俗、夢幻的でエロティックで奇抜な興趣、これらはすべて、日本という国が旧世界(ヨーロッパ)の小説家や画家たちの想像の世界 に入り込むのに寄与した。それらは新しい清流となり、象徴主義の暗く魅惑的な雰囲気によって既に下地が出来ていた当時の人々の想像世界を潤すこととなった。


 『イリス』は日本を主題にした最初のイタリアオペラであり、5年後に作曲されることとなる『蝶々夫人』(1904年作)との比較においても、圧倒的な存在だ。だがそもそも設問自体が間違っている。この二つのオペラはあまりにも違っており、比較するという目的のために、これほど不適格な候補はあるまい。



ジャコモ・プッチーニ

 プッチーニは初期の『マノン』(1893年作)から『三部作』(1918年作)に至るまで、本質的に自分自身と自己の詩情に忠実で あり続け、大胆な実験的手法に挑戦することはなかった。劇的な写実主義や、心理的にあらゆる角度から考察され音楽によって描き出された登場人物たちといったものに対する彼の嗜好は、何年もの間変わらなかった。耽美主義と神話、象徴的幻想の種からオペラ『トゥーランドット』(1924年作)が花開くまでにはまだ歳月を待たねばならないし、残念ながらこの作品は未完に終わった。


 それに反して『イリス』は、当時のイタリアの劇場の潮流に逆らう位置づけの作品となる。自分自身を投影できるような、いわば映画風味の物語と登場人物を求めていた聴衆の好みに対して、マスカーニは、不遜なまでに劇場に不向きな題材で反抗してみせた。劇的効果や見せ場に欠ける入り組んだストーリー、意志の強いヒロインの代わりに、当惑した曖昧な女主人公、そして神秘の国日本という、オペラ劇場にはおよそ馴染まない背景。


 にもかかわらず、これらの要素はマスカーニの想像力をかきたて、大胆で未知の解決に向かって彼を駆り立てた。六音音階や五音音階を使用し、正当な日本の音楽の旋律を引用し、完全に忠実ではなくてもそ れなりに現実味のある日本の習慣や風俗の記録などを通じてその土地独自の色合いを再創造しようとしたプッチーニの試みから、マスカーニは遠く離れている。


 マスカーニは日本を、象徴主義が支配する夢の国に仕立てた。我々の目の前で、北斎の絵が生命を得て動き出す。ただしその世界は、教養深いというよりは直感的な一人のヨーロッパ人の想像力に支配された、 彼の嗜好と幻想によって再創造された世界である。
 大編成のオーケストラはワーグナーの、そして後期ロマン主義のオペラの音色を奏でる。フランスオペラの影響を受けた、この上なく洗練された作曲法の音色の魅力は特に注目すべきところである。またあちらこちらに、マスカーニが、フィレンツェのある研究者のプライベートコレクションで聴く機会を得た、いくつかの異国の楽器の音色が聞き取れる。



チューンドゴング

 チューンドゴング、日本の民俗音楽の打楽器、そして三味線までもが、ヨーロッパの劇場において初めて使われ(プッチーニはこれに深く印象づけられ、『蝶々夫人』 『トゥーランドット』の中でそれを思い出している)、このオペラ全体の奇抜さ、唯一性の一因となっている。


 登場人物たちもまた、影であり仮面であり幻であり、人間の無意識の様々な面の擬人化であるかのように思われる。チェーコや京都、大阪たちは傀儡に過ぎず、マスカーニは文楽の人形使いよろしく、渇望 や利己主義、悪意などの象徴として彼らを操っている。
 イリスは非自発的なヒロインとして立ち現れるが、彼女はトスカやサントゥッツァのような猛々しい女性ではなく、蝶々さんやイザボーが備えている悲劇的な情念もない。イリスは、純真さ、繊細さ、そしてマスカーニが恐らく当時流行の屏風や絵の中で垣間見た天上の美、そういったものたちの精髄である。


 そしてこのいまだ評価が分かれる傑作には、この作品をより多面的で魅力的なものとする要素も欠けていない。その要素とはマスカーニの、過剰で外向的な側面で、た とえばイオールのセレナータが、『イル・トロヴァトーレ』とナポリ民謡の間に位置するようなイタリア風のストルネッロであったり、「蛸のアリア」が、灼熱のエロティシズムを滲ませるヴェリズモ風のプリマドンナ・アリアであったりする、つまり、非常に盛り上がりはするが、人物設定からは若干外れていて違和感を覚えさせるようなものであったりする側面である。


 ではこのオペラは、そのように均衡を欠いた、忘れられてしかるべき作品なのだろうか?
 とんでもない。この作品の表面上のいくつかの欠点は、マスカーニの作品の抗し難い魅力の一部である。そこに我々は折衷主義という新しいレッテルを貼ることができるだろう。すなわち通俗的、感傷的、象徴的、効果的といった様々な要素が、この上なく生き生きと鮮やかな色彩で特徴づけられた巨大なモザイクを構成する一片一片となっているのである。


 この作品を再発見することは我々に、マスカーニの傑作を知る機会を与えてくれる。美的均衡を愛する洗練された人は、そこここで顔をしかめるだろう。『蝶々夫人』の二番煎じを期待する人は裏切られたと感じるかも知れない。だが他のすべての人たちはこの、あまりにもしばしばなおざりにされてきた作曲家、そして今こそ、その抑えがたく抗しがたい空想力の証として完全な形で再評価されるべき作曲家、その作曲家の信じがたい才能に身を委ね魅了されることになるだろう。



日本イタリア150周年記念 10月定期演奏会 指揮:アンドレア・バッティストーニ

マスカーニ/歌劇『イリス』(演奏会形式・字幕付) マスカーニ/歌劇『イリス』(演奏会形式・字幕付)

第886回オーチャード定期演奏会
2016年10月16日(日) 15:00 開演
Bunkamura オーチャードホール

第887回サントリー定期シリーズ
2016年10月20日(木) 19:00 開演
サントリーホール
【完売御礼】
10月定期演奏会

指揮・演出:アンドレア・バッティストーニ
イリス(ソプラノ):ラケーレ・スターニシ
大阪(テノール):フランチェスコ・アニーレ
合唱:新国立劇場合唱団  ほか


マスカーニ/歌劇『イリス(あやめ)』(演奏会形式・字幕付)



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