ホーム > インフォメーション > 【特別記事】クセナキスが語る『ケクロプス』 イアニス・クセナキスによる「半人半龍」

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2022年2月4日(金)




 作曲家イアニス・クセナキスの生誕100周年に際し日本初演となるピアノ協奏曲第3番『ケクロプス』。初演ピアニスト、ロジャー・ウッドワード(Roger Woodward, 1942-)との関係のなかで生まれた本作について、エリック・アンテール(聞き手)によってまとめられた作曲家自身へのインタビュー記事(フランスの音楽雑誌「ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュジック」1986年12月号に掲載)をご紹介します。


(Iannis Xenakis (avec Eric Anther) : "Mi-homme, mi-dragon" Le Monde de la Musique (Paris: décembre 1986) p.115 /
「ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュジック」1986年12月号、エリック・アンテールによるインタビュー/翻訳:永井玉藻)



 「私はロジャー・ウッドワードに対する特別な友情の念を抱いています。なぜなら、彼は親切で、音楽家には珍しい人間味と熱意を持っているからです。それに私は、しばしば熱気を帯びる彼の話自体のうちに隠された、一種の不安や、終わりのない苦悩に気づいています。つまり、彼は実に真摯で純粋な芸術的アプローチを持っているのです。
 べランジェ(注:Pierre-Jean de Béranger, 1780-1857。フランスの抒情詩人)のこの詩を思い出します。使い古された詩ではあるけれども、常に正しい。

「  我が心は吊られたリュート
  触れればたちまち鳴り響く。  」


 ロジャー・ウッドワードの全てがここにある!
 同じように、彼に関して強い印象を持ったのは、芸術的なものごとについての彼の決断が真剣な点です。これは経験から言えます。もう何年も前に、彼がコンサートで『エオンタEonta』(1963)を演奏すると決めたとき、私は彼の名前くらいしか知りませんでした。つまり、彼は私に、(このコンサートの)後になってから「この作品をすでにアメリカでズービン・メータと一緒にやったことがある」(注:1972年)としか言わなかったのです。彼が『エオンタ』をヨーロッパでエリアフ・インバルとやったのは、そのもっとあとのことでした(注:1985年)。一つの作品を少しずつ明らかになる作品への愛を持って深める、ある種、謙虚なやり方で、(クセナキスの他の作品である)『ミスツMists』(1980)でもそうだったと思います。
 ロジャー・ウッドワードは、この新しいピアノ独奏のための作品(『ミスツ』)を書いてくれるよう、私に依頼してきました。彼が作品をすぐに好きになったかどうかはわかりません。逆に、今では大いに好んでいると思います。パリでの作品初演のとき、彼は同じコンサートの中でこの作品を2回、演奏しました。1回目は、かろうじて、まずまずの出来。2回目は素晴らしかった!なぜか?それは私にも謎のままです。
 独奏者のための私の作品は、じっくり練り上げるにはとても難しいのです。まず技術的に、そして音楽的に。全然明確ではないのですが……。

 ロジャー・ウッドワードは、次にピアノとオーケストラのための作品を書いてほしい、と求めてきました。これは長くかかりました。というのも、私には進行中の別の仕事がありましたし、(ウッドワードの新作は)自分の中で熟成されていたからです。彼が私に手紙をよこしたのさえ覚えていますよ、「1時間の作品でないといけないのです!」と指摘されていました。それに対しての私の返事は、それは無理だということと、大事なのは長さではなくて質なのだということ(笑)。 短い作品の構成よりも長い作品の構成の方が、もっと想像力を必要とする、というのは間違いないでしょう。いくつかの長いページがそれほどしっかり構成されていなかったとしても、またそうした中のいくつかを、名作と称することが出来るとしても。私は私が出来ることをやり、それは『ケクロプスKeqrops』(1986)となって彼に献呈されました(注:正確には『ケクロプス』にウッドワードへの献辞はない)。ニューヨークでの作品の初演では、新たな驚きがありました。ロジャー・ウッドワードは暗譜で弾いたのですよ。まさに信じがたいことでした!

 この作品『ケクロプス』は、『ミスツ』からちょっと継続しているやり方、つまり「ロマンティックな」要素があるかもしれません。しかし、様々な使われ方をするこの言葉には注意しなければいけません! 例えば、19世紀の様式の模倣があります。すなわち、調性の概念を再導入した、ドイツのポストモダン楽派ですね。別の時代のディスクール、別の時代の概念——コンセプト——スタイルが……しかし、「情熱的」と言われるのを単純に受け入れることにおいては、私は「ロマン主義的」呼ばわりされるのに同意します。ですが、『ミスツ』には何かもっとぶつ切りのものがあって、別のアプローチ、別の解釈が必要です。継続性を欠いているために、『ミスツ』は確かに、よりロマン主義的ではなく、情熱的なのでしょう。
 このロマンティシズムゆえに、私は『ケクロプス』の初演の時の、ロジャー・ウッドワードの演奏を素晴らしいと評価するのです。
 作品のタイトルについては、とりわけ音声上のあいまいさに由来しています。ケクロプスKéqropsは神話上のアテネ王で、ミケーネの時代だったと思いますが、つまりキリスト教の時代よりも前の2000年間のことですね。彼の名は全くエジプト的な響きを持っています。例えばケオプスKhéops(訳注:ピラミッドで有名な「クフ王」のこと。「ケオプスKhéops」はフランス語での呼び方)のような。伝説によると、アッティカにやってきたのは彼で、彼の目には未開人に見えたらしいアテネの人々を文明化したそうです(笑)。現代ギリシャ語のアルファベットに「q」はないのですが、古代のアルファベットのひとつでした。これも伝説からの話なのですが、ケクロプスは半分が人間、半分が龍だと考えられていました(訳注:伝説上は蛇のはずだが、クセナキスは「龍dragon」と言っている)。ドラゴン的な面は、ピアニストとしてのロジャー・ウッドワードにぴったりですね。そして、このタイトルが彼の芸術と密かな関係を持っているために、とりわけこのタイトルを、無意識のうちに選んだのかもしれないと思います。




(翻訳者プロフィール)
永井玉藻(ながい・たまも)/パリ第4大学博士課程修了、博士(音楽学)。専門は西洋音楽史、特に19世紀から現代までのフランス音楽やオペラ、バレエ作品。現在、武蔵野音楽大学・大学院非常勤講師、白百合女子大学 非常勤講師、慶應義塾大学 非常勤講師。主な論文に「19世紀後半のパリ・オペラ座におけるバレエ伴奏者」(日本音楽学会、2018年)、共著書に『《悪魔のロベール》とパリ・オペラ座 19世紀グランド・オペラ研究』(上智大学出版、2019年)ほか。

【特別記事】

 ▷ 【クセナキス生誕100年】『ケクロプス』日本初演によせて「クセナキスの夢想が現実になるとき」(文=野々村禎彦)
 ▷ 【特別記事】井上道義&大井浩明、クセナキス『ケクロプス』日本初演を語る!


2月定期演奏会

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2月24日[木]19:00開演(18:15開場)
東京オペラシティ コンサートホール
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2月25日[金]19:00開演(18:15開場)
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2月27日[日]15:00開演(14:15開場)
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指揮:井上道義
ピアノ:大井浩明*

エルガー/序曲『南国にて』
クセナキス/ピアノ協奏曲第3番『ケクロプス』*(1986)〈クセナキス生誕100年〉日本初演
ショスタコーヴィチ/交響曲第1番

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