ホーム > インフォメーション > ヒエロニムス・ボス『快楽の園』をよみとく(文=中野京子) | 11月定期演奏会

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2021年9月29日(水)


 2021シーズン東京フィル定期を締めくくる11月定期の注目のプログラムは、首席指揮者アンドレア・バッティストーニの自作曲「フルート協奏曲『快楽の園』~ボスの絵画作品によせて」。15~16世紀ルネサンス期に活躍した画家ヒエロニムス・ボスの同名の代表作に触発されて書かれた作品です。ここでは作曲家バッティストーニをインスパイアした絵画作品『快楽の園』そのものについて、歴史的絵画作品のサイドストーリーを紹介し爆発的な人気を獲得した「怖い絵」シリーズの生みの親、中野京子氏に作品をひもといていただきました。





 ボスとレオナルド・ダ・ヴィンチが同時代人と知って驚く人は少なくないだろう。それほどにも絵画の方向性が異なっている。もともとアルプス以北の画家は細部へのこだわり感が強いが、ボスの徹底ぶりは突出している。ブリューゲルはもちろん、『ウォーリーを探せ』も、ボス無くしては生まれなかったろう。いくら見ても見飽きない、いくら考えても謎は解けない――それがボスの魅力である。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』(The Annunciation、1472、ウフィツィ美術館蔵)


ピーテル・ブリューゲル『悪女フリート』(Dull Gret、1563、 マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館蔵)


ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(The Tower of Babel、1563、ウィーン美術史美術館蔵)


 異形のクリーチャー(生きもの)たちで溢れかえる三連祭壇画『快楽の園』は、ブルゴーニュ公国の貴族からの依頼で制作され、最終的にはスペイン王フェリペ二世のコレクションに収まった。王はボスの大ファンだった。
 ボス作品をキリスト教に対する痛烈な批判と解釈する研究者もいるが、カトリックの守護者を任じたフェリペ二世が何点もボスを集めていたこと、また当時の宮廷財産目録では本作を『世界の多様性についての絵』と記してあったことから、ボスが揶揄したのは宗教というより人間の弱さ愚かさ可笑しさだと(正しく?)認識されていたことがわかる。おそらくそれゆえにこそ、時代も国も超えてボスは愛され続けているのだ。

 『快楽の園』というタイトルは後世の命名ながら、絵のテーマをよくあらわしている。パネルごとに小タイトルで呼ぶこともあり、左パネルが「地上の楽園(ないし「エデンの園」)、中央パネルが「快楽の園」、右パネルが「地獄」。
 エデンの園では神がアダムにイヴを与えるシーンが前景に大きく描かれる。こうして男女が世に誕生したため世界は堕落し、快楽に溺れるようになり、行き着く先は地獄だと、パネルの左から右へ、発端、展開、帰結が表現される。しかしもちろんボスが描くのだから、どんな局面にあっても魑魅魍魎は跋扈する。画家の絵筆は変テコなものを創造する歓びに躍り、我々は驚異の別世界に目を瞠る。

ヒエロニムス・ボス『快楽の園』(The Garden of Delights、1503-1504、プラド美術館蔵)
地上の楽園(左)、快楽の園(中央)、地獄(右)



 左パネルから見てゆこう。前景左端でネコがネズミをくわえている。いや、あちらでもこちらでも弱肉強食のシーンが繰り広げられていて、楽園とは名ばかりだ。
 中景の池に奇妙な塔が建っていて、丸窓からフクロウの顔がのぞく。ボスはフクロウを登場させることが多く、「目撃者としての自画像」と言われている。ボスという通称が、故郷ス・ヘルトーヘンボス(大公の森、ないしフクロウの森の意)から取られたからだ。



 中央パネルにも、中景右と左に特大のフクロウが二羽、正面を向く。ボスは、性に突き動かされる人間の狂態を見て楽しむ我々鑑賞者の方を、大きな目でじっと観察しているのではあるまいか。

 ボスの描く裸体は中世的表現をひきずって男女ともなよやかで、顔の表情も乏しい。おかげで淫靡さも残酷さもやわらげられ、安心して見ていられるのかもしれない。ここには白人だけではなく、黒人男女もかなり混じっている。また空飛ぶ魚、ロボット風の人魚、グリフィン、動物と植物の合体などのクリーチャーばかりか、建造物や山々まで奇怪だ。
 画面中景では女性だけが水浴びする泉の周りを、さまざまな動物に騎乗した男たちがぐるぐる回っている。メスの関心を惹くため必死なオスの本能そのもの。





 筆者がもっとも恐怖を感じるシーンは、画面左、中景。大きなシャボン玉の中に男女が寄り添い、その下に赤っぽい球根がある。球根の中から男が顔を出すが、目の前には透明の筒があってそこにネズミがいる。これがオーウェル作『1984』を想起させるのだ。というより、オーウェルはボスのこの絵を見て、残酷きわまりないあの恐ろしい拷問シーンを思いついたのではないかと、鳥肌が立ってしまった。
 そんな次第で、亡者らが楽器刑に苛まれる地獄絵図に対しては、さほど怖さを感じない。
 心に突き刺さるシーンは人それぞれ。




中野京子(なかの・きょうこ)


作家・ドイツ文学者。北海道生まれ。『怖い絵』シリーズ(角川文庫)『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』『同 ブルボン王朝 』『同 ロマノフ家 』『同 イギリス王家』(すべて光文社新書)、『名画の謎』シリーズ(文藝文庫)『残酷な王と悲しみの王妃』(集英社文庫)など著書多数。最新刊『美貌のひと 2』(PHP新書)、『プロイセン王家 12の物語』(光文社文庫)『そして、すべては迷宮へ』(文春文庫)日本経済新聞をはじめ、新聞・雑誌に多数の連載を抱える。2017年「怖い絵」展では特別監修を務め、大人気を博す。2021年9月、「怖いクラシック コンサート」で東京フィルと共演。
ブログ「花つむひとの部屋」 http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006





【特別記事】

 ▷ マエストロ アンドレア・バッティストーニが語る 東京フィルとの『新しい景色』
 ▷【ダブルインタビュー】アンドレア・バッティストーニ&トンマーゾ・ベンチョリーニ
 ▷ バッティストーニ:フルート協奏曲『快楽の園』(日本初演)プログラム・ノート

11月定期演奏会

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11月1日[月]19:00開演(18:15開場)
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11月3日[水・祝]15:00開演(14:15開場)
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指揮:アンドレア・バッティストーニ
(東京フィル 首席指揮者)
フルート:トンマーゾ・ベンチョリーニ*

― バッティストーニの作品 ―

バッティストーニ/フルート協奏曲『快楽の園』~ボスの絵画作品によせて(2019)(日本初演)*
I. 天地創造 II. エデンの園 III. 地獄ーカデンツァ IV. 庭
チャイコフスキー/交響曲第5番



令和3年度(第76回)文化庁芸術祭参加公演(11/1公演)
主催:公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)| 独立行政法人日本芸術文化振興会
協力:Bunkamura(11/3公演)

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