ホーム > インフォメーション > 【特別記事】『カルメン組曲』と『白鳥の湖』~作曲家を導いたミューズたち~(文=赤尾雄人)| 6月定期演奏会

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2022年5月16日(月)

 


 東京フィル6月の定期演奏会はミハイル・プレトニョフの指揮で、ロジオン・シチェドリンの『カルメン組曲』とピョートル・チャイコフスキー作曲『白鳥の湖』(抜粋)という、バレエ音楽尽くしのプログラムである。
 欧米の指揮者は管弦楽の演奏会のほかに、何れかの歌劇場に腰を据えてオペラの指揮をすることが多いが、ロシアで一流と目される指揮者はオペラよりもバレエから出発した人が多い。ロジェストヴェンスキーやゲルギエフは言うを俟たず、ムラヴィンスキーやスヴェトラーノフ、フェドセーエフもバレエ公演で指揮した経験を持っている。プレトニョフも指揮者としての活動を本格化した1990年代初めに、ボリショイの名花エカテリーナ・マクシーモワ(1939-2009)が主演したプロコフィエフの『シンデレラ』を指揮している。
 今回演奏される二作品はいずれも不世出の名プリマ、マイヤ・プリセツカヤ(Maya Plisetskaya, 1925-2015)が十八番としたバレエである。



1968年にマイヤ・プリセツカヤが初来日し、
東京バレエ団『白鳥の湖』全幕に出演した
際のプログラムより。本人のサインと日付
が入っている(著者提供)

 『カルメン組曲』は1967年にボリショイ劇場で初演された。当時プリセツカヤは『白鳥の湖』のような古典バレエに飽き足らず、新しいスタイルのバレエを渇望していた。そんなとき彼女はキューバからやってきた舞踊家アルベルト・アロンソの斬新な舞踊語彙に魅せられた。アロンソの振付でカルメンを踊りたいという情熱に掻き立てられたプリセツカヤは、もうその翌日には当時のソ連文化相フールツェワの支持を取り付けていた(フールツェワはこのバレエが「ソ連とキューバの友好関係を深める」という言葉に動かされた)。
 プリセツカヤの夫シチェドリンはビゼーの同名のオペラやその他の管弦楽曲をベースに、『カルメン組曲』を弦楽器と4群のパーカッションという特異な器楽編成で書いた。これは柔らかく優美な動きを特徴とする古典バレエと異なり、腕や脚を鋭く直線的に運び出すアロンソの独特な振付に触発されたものである。「私は狭い台所のなかで…アルベルトが振り付ける一つひとつの新しいエピソードを踊って見せました。シチェドリンは私の途切れ途切れの動作を注意深く見つめ、そこに何か秘められたアクセントを見出したようでした」。こうして得られた響きは「尋常でなく、くっきり鋭く鮮明で、現代的で、瑞々しさとけたたましさと精彩を持ち、破滅的かつ崇高なものでした」(プリセツカヤ自伝より、抄訳)。
 プリセツカヤこそはシチェドリンにとって芸術創造(バレエ作曲)のミューズであり、『カルメン組曲』は彼が愛妻プリセツカヤに捧げたオマージュであった。


 『白鳥の湖』を創作していたころ、チャイコフスキーにはミューズと言えるような女性がいただろうか?
 チャイコフスキーはしばしば同性愛者だったと言われるが、実際は女性に奥手だっただけで、モスクワ音楽院で教鞭を取っていた1868年にはフランス人オペラ歌手、デジーレ・アルトー(1835-1907)と相思相愛の仲になっている。だが、作曲家の創作活動の妨げになることを懸念した周囲の画策により二人の関係は破綻し、それが彼の心に大きな傷を残したと考えられる。
 彼は『白鳥の湖』を脱稿した1876年にナデジダ・フォン・メック夫人(1831-1894)と文通を始めたが、生涯を通じて対面することはなかった。いっぽう、バレエが初演された77年にはアンナ・ミリュコーワ(1848-1917)と結婚したが、これが不幸な結末に終わったことは周知の通りである。『白鳥の湖』初演で主演したのはポリーナ・カルパコーワとアンナ・ソベシチャンスカヤ(公演4日目から)という二人のバレリーナだったが、チャイコフスキーがこの二人に特別な感情を抱いていた形跡はない。


ボリショイ劇場『ドン・キホーテ』キトリ役での
リディヤ・ゲイテン(1891年)

[Большой балет. Балет Большого театра СССР
(The Bolshoi Ballet: Ballet Company of the Bolshoi Theatre of the USSR)
edited by Boni, V.A. Published by Planeta Publishers, Moscow, 1981 p.82]
(所蔵:兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション)

 さて先年、ボリショイ劇場の改修に伴いアーカイヴの整理が行われていたとき、2台のヴァイオリンによる『白鳥の湖』初演時のリハーサル譜が発見された。これは2015年に『モスクワ・ボリショイ劇場における《白鳥の湖》.1875-1883』として出版され、そこに収められた当時の記録から、『白鳥の湖』の初演はもともとリディヤ・ゲイテン(Lydia Geiten, 1857-1920)という舞姫が主演する予定だったことが確認された。このことは1900年にゲイテン自身が「チャイコフスキーは私のために『白鳥の湖』を作曲した」と発言していたのだが、確証が得られていなかったのである。
 ゲイテンは生粋のモスクワのバレリーナで、バレエ学校時代から『ドン・キホーテ』(1869)などにソリストとして出演していた。1874年に卒業してボリショイ劇場に入るとたちまち頭角を現し、「古典舞踊ではフランス流派の優雅さを持ち、性格舞踊では生き生きとして繊細な、『燃えるようなエネルギー』を放った」(上掲書)という。特に重要なのは1875年からバレエ『ジゼル』の標題役を、ボリショイではただ一人、ゲイテンが踊っていたことである。『白鳥の湖』の作曲にあたってチャイコフスキーが『ジゼル』を参考にしたことはつとに有名だが、彼はまたゲイテンという舞姫その人にも魅せられていたかも知れない。
 リハーサル譜の発見とそこに記されていた振付家のメモにより、ゲイテンがリハーサルの途中まで参加していたことは確認されているが、彼女が降板した理由は明らかになっていない。恐らくは和声やリズムの平明な踊りやすい(ダンサントな)音楽に慣れていたバレリーナが、チャイコフスキーの交響楽的な音楽を敬遠したのだろう。だとするとチャイコフスキーは気難しいミューズに翻弄されながらもバレエ史上に燦然と輝く名作を生み出したことになるが、これ以上は想像の域を出ない。
 ともあれ、ステージでバレエを観るだけでなく、音楽のみを聴きながら当時作曲家の心が奈辺にあったか想いを馳せるのも、ほろ苦くもまたロマンティックな愉しみである。(了)




赤尾雄人(あかお・ゆうじん)

1960年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専修・修士課程修了。著書に『これがロシア・バレエだ!』(新書館)、共訳書にマックレル、クレイン『オックスフォード バレエダンス事典』(平凡社)、モリソン『ボリショイ秘史』(白水社)など。





【特集】

 ▷ ミハイル・プレトニョフ、作曲家シチェドリンを語る

 ▷ 【楽団員インタビュー】コンサートマスター 依田真宣


6月定期演奏会

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6月8日[水]19:00開演
サントリーホール
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6月9日[木]19:00開演
東京オペラシティ コンサートホール
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6月12日[日]15:00開演
Bunkamura オーチャードホール

指揮:ミハイル・プレトニョフ
(東京フィル 特別客演指揮者)

曲目解説(PDF)

シチェドリン/カルメン組曲
〈シチェドリン生誕90年〉
チャイコフスキー/『白鳥の湖』より
(プレトニョフによる特別編集)


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