ホーム > インフォメーション > 5月定期演奏会のききどころ「生誕150年を迎えた音楽家ラフマニノフの生涯をたどる」文=鈴木淳史

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2023年2月22日(水)

| セルゲイ・ラフマニノフとミハイル・プレトニョフ


セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)


ミハイル・プレトニョフ(1957-)Ⓒ三浦興一

 戦争や革命は、多くの人の運命を変えてしまう。今年生誕150年を迎えるセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)も、ロシア革命によって祖国を離れた音楽家の一人だった。1917年12月、家族を伴って国外への演奏旅行に出て以来、再びロシアの土を踏むことなく生涯を終えている。
 ラフマニノフと同様に、指揮者でピアニスト、そして作曲家でもあるミハイル・プレトニョフも、そうした政治的な圧力と決して無関係とは思えない。現在スイスに住むロシア人マエストロは、ロシアがウクライナに侵攻した昨年の秋、スロヴァキアで「ラフマニノフ国際管弦楽団」を立ち上げた。祖国を愛しながらも、そこを離れざるを得なかった芸術家の名前を冠し、「音楽という普遍的な言語を通じ、平和を鼓舞する」というコンセプトを掲げたオーケストラだ。
 そのプレトニョフが、5月の東京フィル定期公演でラフマニノフ作品を指揮する。この作曲家の生涯をたどるように、3曲の管弦楽曲で構成された、オール・ラフマニノフ・プログラムである。最初期に書かれた幻想曲『岩』、円熟期の交響詩『死の島』、そして最晩年の『交響的舞曲』だ。
 プレトニョフは、まるで自分がピアノを弾いているかのように、オーケストラに明確な音色を与えていく。ラフマニノフ作品ならではの色彩が渦まく世界が鮮やかに広がることだろう。さらに、それぞれの時代での作風の違いも浮き立たせてくれるはずだ。



| ラフマニノフの生涯 若き日の挫折と再起


作家アントン・チェーホフ(1860-1904)
ラフマニノフとも親交があった

帝政ロシアの詩人
レールモントフ(1814—1841)

 ラフマニノフが生まれたのは、今から150年前の1873年4月1日。モスクワ音楽院のピアノ科と作曲科で学んだ。音楽院卒業の翌年、1883年に幻想曲『岩』(作品7)を作曲している。チェーホフの短編小説「旅中」、およびその小説のエピグラフとして出てくるレールモントフの詩にインスピレーションを受けて書かれた。タイトルの『岩』は、小説のなかの男女の別れ、去って行く女を見送る男に雪が降り積もり、それは岩のようになったという描写に由来しているという。
 水彩のように爽やかに重ねられていく色彩が魅力的な作品だ。中間部の舞曲的な速い部分、そしてチャイコフスキーの影響を思わせる悲劇的なクライマックス。後年の濃厚な音色とは一味違う若々しいスタイルがよく現れている。
 『岩』の作曲より1年後、若き作曲家は交響曲第1番を作曲。交響曲というフォルムを強く意識しながらも、マーラーのようなとりとめ無さも備えたその作品は、その未熟さと新しさゆえに、手痛い批評に曝された。作曲家は意気消沈し、人生最大のスランプに突入してしまう。曲が書けなくなり、アルコール中毒になって震えが止まらず、ピアニストとしての活動も一時できなくなった(その代わりに指揮活動を行うようになった)。
 彼が立ち直ったのは、1901年に完成したピアノ協奏曲第2番の成功だった。続いて書かれた交響曲第2番は、前作の失敗を克服し、息の長い美しい旋律を前面に出し、オーケストレーションも巧みさを増した。1908年の初演は、聴衆からは熱狂的に迎えられたという。



| 『死の島』と亡命


『死の島』はアルノルト・ベックリンの
同名の絵画による銅版画から着想を得て書かれた

 その翌年、1909年春に書かれたのが、交響詩『死の島』(作品29)だ。スイスの画家ベックリンの同名の絵画(を元にしたモノクロの銅版画)に着想を得て書かれている。
 当時のラフマニノフは、ボリショイ劇場などで指揮活動に追われ、作曲のためのまとまった時間が取れないほどだった。彼は作曲に専念し、同時にロシアの政情不安を避けるため、ドイツのドレスデンに移住。その地で、交響曲第2番やこの交響詩の傑作が生まれている。
 『死の島』とは、墓場の島。ベックリンの絵では、糸杉(これも死の象徴)がそびえ立つ孤島に、小さな船が近づいていく様子が描かれている。曲も暗鬱そのものに開始。波打つようなリズムのなか、暗い色彩が深みを増していく。そんな闇がかった雰囲気ながらも、巨大編成のオーケストラが細やかに動き、繊細な表情や音色を煌めかせる。詩的情緒を香り立たせる。最後は「怒りの日」の旋律が、厳かに顔を覗かせる。



グレゴリオ聖歌「怒りの日」の旋律


作曲家が故国と別れを告げたのは、『死の島』から8年後だった。それ以降、ヨーロッパやアメリカに移住してからのラフマニノフの作品はぐっと少なくなる。売れっ子ピアニストとして多忙を極めたのに加え、ロシアを離れて創作意欲も減退したのだという。この亡くなるまで26年間の期間に書いた管弦楽を用いた作品は、たった4曲のみ。交響曲第3番、ピアノ協奏曲第4番、『パガニーニの主題による狂詩曲』、そして最後の作品となった『交響的舞曲』(作品45)だ。
 『交響的舞曲』は1940年に作曲、翌年初演。3楽章構成の交響曲に準じたスタイルをもつ。
 舞曲という名の通り、さまざまな舞曲が主題となり、多彩なリズムと色彩にあふれる作品だ。生と死の鮮やかなコントラストと、その葛藤がエネルギーを生み、そして燃え尽きるような浄化に至る。『死の島』などで聴かれた厚塗りのオーケストレーションではなく、削ぎ落とされたソリッドな音楽だ。晩年になって肩肘張らない、より自由な境地に至ったせいだろうか。作曲家のトレードマークである「怒りの日」の旋律も頻繁に登場、それが舞曲と絡み合う。自作の引用も散りばめ、これまでの人生を軽やかに振り返るようにも聴こえる。
 この最後の作品を書いた3年後、1943年3月28日に彼は亡くなった。70歳の誕生日を目前に控えていた。



ミハイル・プレトニョフ ©上野隆文



 鈴木淳史(すずきあつふみ)/1970年山形県寒河江市生まれ。クラシック音楽にまつわるエッセイや批評を手がける。著書に『クラシック悪魔の辞典』『背徳のクラシック・ガイド』『愛と幻想のクラシック』『占いの力』(以上、洋泉社)『チラシで楽しむクラシック』(双葉社)『クラシック異端審問』(アルファベータ)『クラシックは斜めに聴け!』(青弓社)ほか。共著に『村上春樹の100曲』(立東舎)などがある。



5月定期演奏会 

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5月10日[水]19:00開演
サントリーホール
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5月12日[金]19:00開演
東京オペラシティ コンサートホール
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5月14日[日]15:00開演
Bunkamura オーチャードホール

指揮:ミハイル・プレトニョフ
(東京フィル 特別客演指揮者)


ラフマニノフ/幻想曲『岩』
ラフマニノフ/交響詩『死の島』
ラフマニノフ/交響的舞曲
(ラフマニノフ生誕150年)


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主催:公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団
協力:Bunkamura(5/14公演)

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